最近、ものすごく気になることですが、
新聞・テレビ報道がどんどん暴力的になっているように思います。

STAP細胞の論文取り下げについての話題や、
ベビーシッターの男児遺体遺棄事件もそうですが、

メディアが多数押しかけて、まるで吊るしあげるかのような取材攻勢と、
事故や事件の本質とはかけ離れた、当人の人格に至るものまで、
とにかく強引に結びつけて、記事やニュースに仕立て上げています。

コトバンクによれば、「社会の関心が高い事件・事故において、
マスメディアの記者が多数押しかけ、当事者や家族・友人などの関係者、
近隣住民などに対して強引な取材をすること。集団的過熱取材。報道被害。」を
『メディアスクラム』と呼んでいるようです。
元々は「イギリスなどで立法議会や会合といった出来事の外で
直ちに開かれることが多い即席の記者会見である。」
(ウィキペディア)とされています。

報道に携わる人たちの知性の低さなのか、とにかく記者会見や取材での質問が
わざと怒らせるような口調であったり、重箱の隅をつつくような質問であったり。
ここ十数年、報道記者の資質は、かなり変節したと、僕は見ています。

もちろん、巨悪に対する民衆の力として、その力は絶大だと思います。
社会正義に照らして、隠しごとや疑惑があれば、追及するのに反論するつもりはありません。
ですが、その社会正義とは、その当時の世論が作る「暗黙的な」正義であると思います。

しかしながら、今のマスメディアが掲げる社会正義は、それとはかなりかい離しているように
思うのです。

疑いの目を向けた人に対する「人権意識」が薄いと言えばよいのでしょうか。
STAP細胞の小保方さんなどは最たる事例でしょう。
ついこのあいだまで「ノーベル賞候補」だ、「リケジョの鏡」だと立てておいて、
今では博士論文は「ねつ造」だ、研究者失格だと、
さんざん批判しています。

もちろん、本人に落ち度があったのは否定できないようです。
しかし、この出来事は、個人の意図的な悪意があって起こったものなのでしょうか?
それをメディアは、一人の個人をスケープゴートにして、
社会悪の象徴であるかのように伝えています。
週刊誌などは、それを確証のないまま、面白おかしく掲載しています。

こういった事例は枚挙にいとまがありません。

要素還元的な発想というか、二元論的というか、
とにかくメディアがレッテルを貼りたがるのは、こうした思考が
世間を支配しているからだと思います。

もう、ひょっとしたら、インターネットで情報が飛び交うこの時代には、
マスコミと呼ばれる人たちは、唾棄されるべき存在なのかも知れません。