人権って何? ①
日本でも世界でも「人権」は大人気だ。(まぁ中国や一部の地域は除くが)
そして日本の左派がもっとも大好物にしているのも「人権」なんですね。
でも「人権とは何ですか?」と聞かれたときに、「何ですか?」と問い返す人がほとんどだと思う。
私もそうです。となると、どこからか「ググレカス!」という魔法の呪文が聞こえてくるようなので、
人権についてググル事にした。
検索してヒットした数が6,660,000件、その筆頭にwikiが登場する。
日本におけるwikiはどうも信憑性が薄いという評判らしいが、とりあえず便利なのでこれを見ることとする。
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人権(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9
概要
①
ホッブズの最初に唱えた社会契約説によれば、
聖書に記述されている楽園(原始社会)においても(自然に)存在した権利である生命権と自由権が自然権とされる。
このような平和な無国家状態も人口の拡大とともに紛争が必然となる。
この混乱を避けるために、
個人は国家主権(国王)に対して自然権を完全に放棄し、絶対王政の国家を確立すべきであると主張された。
②
これに反発したロックの社会契約説によれば、
個人は人権を守るために人権を国家に委託するのであって、
国家が人権を侵害する正当性は、それに属する個人の人権や私権を保護するために存在するとされた。
よって、人権を不必要に侵害する暴政に対して人民は革命の権利を有すると主張された。
ちなみに、ロックは原始社会にも個人所有が存在したと主張し、財産権を生命権と自由権に次ぐ自然権とした。
これが、彼が経済自由主義の始祖とされる理由である。
ホッブズが最初に提起した自然権と社会契約説がその後の欧米政治思想の基本となったため、
人権は現時点での法哲学の論争の淵源であるといえる。
③
人権の観念の成立後も国家によって人権が侵害されたことは歴史的事実であるが、
国家による人権の侵害がどの程度において許容されるかはいまだ解決されていない論争である。
多くの人権侵害、場合によっては大量虐殺が国家の維持あるいは全国民の名のもとに行われたのは事実である。
④
日本国憲法においては人権の維持に不断の努力を要するとする。
しかし、人権は法律上「生来」のものとされているが、「絶対」のものとはされていない。
ロックなどの自由主義が最初に主張されたときから、権利を守るための権利の侵害は正当化されており、
ロックやミルあるいはカントなどの代表的な自由主義者・人権論者が、
死刑あるいは戦争を条件付で肯定した理由がそれである。
日本国憲法においても人権侵害は公共の福祉の元に正当化されており、この場合の境界は司法の判断に任されている。
⑤
かつては、人権の根拠は自然法つまり神(宗教的権威性)に求められていた。
しかし、世俗主義の民主主義国家において、特に、日本においては、
人権そのものが、根拠・命題と自然法論で主張される(トートロジー)。
これが日本においては個人の尊厳に求められる。
日本国憲法第13条の「個人の尊厳」はこの意味に解される。
この場合、人権の観念は憲法も含めた法律の上に位置付けられるという法学者が多い。
一方で、法実証論においては、人権の根拠は単純に法律(ほとんどの国では憲法)にあるとされる。
⑦
また、自然法および社会契約説は虚構であるとして、人権概念を否定し、
公民権概念をもってこれにおきかえる主張もある。
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とりあえず、この概要だけでも 頭が痛いですね。
ただホッブズがこの人権の根本的なものを最初に主張した人らしく、
かつ その根拠は聖書にあったみたいですね。
ホッブズは、これを絶対王政の元に放棄すべきという主張ですね。
(今の世の中で考えれば ありえない主張ですがw)
で、その後にロックという人が現れ、ホッブズに反論したわけですか、、、、。
それが「国家という存在は人権を守る為に存在する」という主張ですね。
これは現在における人権と国家の関係に近くわかりやすいですね。
しかし国家が人権を不当に侵害した場合は革命の権利を有するという主張…
なんか これはデジャブを感じます、、、左派がよく主張している部分と何か引っかかります。
まぁ「革命」という言葉の意味があいまいな部分もあるのでなんともいえませんが…。
さて、まだ概要を読んだだけですが、個人的に気づいた事があります。
つまり、国家vs人民(もしくは個人)という構図ですね。
ここら辺は歴史的経緯も絡んで血生臭い臭いがプンプンしますね。
ここら辺は世界が民主主義へ移行する時に起きた闘争の臭いなんでしょう。
また人権といえば自由主義がよく主張する言葉ですが、
日本における左派がこれをよく多様する理由もここら辺にあるのかもしれません。
なんとなくですが、人権が作られ主張された時代と今の時代のギャップは大きい気がします。
これは、現在における人権というイデオロギーを捉える時に重要な気がしますね。
とりあえず、もうしばらく ここら辺を考察してみます。