サバーバン(郊外) リゾート交通整備と共に別荘分譲も進み、地元や東西の資本による開発が盛んに行なわれた。その結果、1940年(昭和十五年)頃には、別荘数が六百二十戸にも増え、その殆んどが東京在住の都民であった。こうして熱海は相模灘を望む桃源郷から、シーサイド・リゾート、そして東京に住む庶民が気ままに訪れるサバーバン(郊外)リゾートへとその性格を変え始めた。やがて戦火が激しくなるとそれを逃れて、関西方面から移住する人々も増えてきた。関東大震災後、東京を避けて関西に移っていた谷崎潤一郎もそのひとりである。