誰なんだろう | スピリチュアル・NLP・脳科学の同じ本質

スピリチュアル・NLP・脳科学の同じ本質

スピリチュアル・NLP・脳科学は結局、同じ結論に帰着します。
(人生は決まってて、自由意思もあって・・・)

そもそも『わたし』とはなんでしょうか。



目と目の間の眉間の奥にあるものでしょうか。



脳そのものもが『わたし』でしょうか。



脳の奥が『わたし』でしょうか。



意識というフレームの中で、



思考が起きると『わたし』が考えた



感情がわくと『わたし』が感じた、



映像を見ると『わたし』が見た、



音を聞くと『わたし』が聞いた、



体感が起きると『わたし』が感じた、



手を動かすと『わたし』が動かした。



その手は『わたし』が動かそうと思ったから動いたんだろうか、



それとも、手が動いたから『わたし』が動かしたと思ったんだろうか。



手が動いた映像と、手が動いた感覚があったから『わたし』が



動かしたと思ったんだろうか。



何かをする度、何かを感じる度についてまわる『わたし』とは、



たとえば『時計』がいろんな部品が集まることで『時計』と呼ばれるように



部品の集合体のただの呼び名ではないだろうか。



それは、『時計』の真実は、『時計』は存在せず、



存在するのは金属の歯車などいろんな部品だけということだ。



『わたし』も意識というフレームに起こるいろんな情報(感覚)の集合体の



呼び名ではないだろうか。



もしくは、



時計が動くときに起きる『チクタク・チクタクという音』。



その音は時計を分解しても存在しない。それは時計が動くときに起こる副産物だ。



それと同じように、『わたし』とは意識のフレームに起こる



いろんな情報(感覚)の副産物ではないだろうか。



もし、意識のフレームに何も起こらなければ『わたし』はいないんじゃないだろうか。



その意識のフレームは誰なんだろう。



それではありがとうございました。




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