そもそも『わたし』とはなんでしょうか。
目と目の間の眉間の奥にあるものでしょうか。
脳そのものもが『わたし』でしょうか。
脳の奥が『わたし』でしょうか。
意識というフレームの中で、
思考が起きると『わたし』が考えた
感情がわくと『わたし』が感じた、
映像を見ると『わたし』が見た、
音を聞くと『わたし』が聞いた、
体感が起きると『わたし』が感じた、
手を動かすと『わたし』が動かした。
その手は『わたし』が動かそうと思ったから動いたんだろうか、
それとも、手が動いたから『わたし』が動かしたと思ったんだろうか。
手が動いた映像と、手が動いた感覚があったから『わたし』が
動かしたと思ったんだろうか。
何かをする度、何かを感じる度についてまわる『わたし』とは、
たとえば『時計』がいろんな部品が集まることで『時計』と呼ばれるように
部品の集合体のただの呼び名ではないだろうか。
それは、『時計』の真実は、『時計』は存在せず、
存在するのは金属の歯車などいろんな部品だけということだ。
『わたし』も意識というフレームに起こるいろんな情報(感覚)の集合体の
呼び名ではないだろうか。
もしくは、
時計が動くときに起きる『チクタク・チクタクという音』。
その音は時計を分解しても存在しない。それは時計が動くときに起こる副産物だ。
それと同じように、『わたし』とは意識のフレームに起こる
いろんな情報(感覚)の副産物ではないだろうか。
もし、意識のフレームに何も起こらなければ『わたし』はいないんじゃないだろうか。
その意識のフレームは誰なんだろう。
それではありがとうございました。
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