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――多くの人にとって、なぜ『朝日』が権力に対峙する体質なのかは、じつに不思議です
門田 それを探るためには、『朝日』の歴史をひもとかねばなりませんブログにも書きましたが、私は今回の件は『朝日新聞』の3度目の危機だと思うのです
1度目は、大正7年(1918)の白虹事件です当時、『朝日』は大正デモクラシーの風潮に乗った記事を盛んに書いていましたが、米騒動が起こって寺内正毅内閣への批判が巻き起こったときに、『朝日』は「白虹日を貫けり」と書くのです
「白い虹」というのは、始皇帝の暗殺を荊軻が企てたときに現れた自然現象とされますつまり帝に危害を与え、内乱の引き金になるような不吉な兆候ですこの記事は大きな問題となり、怒った右翼が『朝日』不買運動を起こし、ついには当時の村山龍平社長の人力車を襲撃して、全裸にして電柱に縛り付け、首に「国賊」と書いた札をぶらさげる事
ところで、最近は娘の離婚に親が深く介在してくるケースが増えています私のところにも、親同伴で離婚相談に来る女性や親との距離が近すぎると感じる女性が大勢いますひと昔前であれば、娘が「離婚をしたい」と打ち明けたとき、親は「我慢しなさい」とまずは離婚を引きとめる説得をしたはずですが、今どきは違います「そんなにあなたが辛い思いをするくらいなら、早く離婚しちゃいなさい」とむしろ離婚をすすめる親も少なくありません娘の夫に対しての不平不満を聞いているなかで、実際に親から見ても義息子の気に入らない面と合致すると「たしかにそういうところはあるわよねお母さんもわかるわ」と親は娘に共感しますすると、自分の不満を理解してもらえたと思った娘のグチはますますエスカレートしていくことになりますしまいには、親のほうも「そんなオトコなら、うちの娘が幸せになれるはずはない早めに別れたほうが、娘は幸せな人生を歩めるに違いない」と思い込んでしまい、離婚をすすめるまでにいたってしまうのです
宮沢さん母娘の場合、母が娘のプロデュースをしていたこともあり、仕事とプライベートをハッキリと分けて考えることが難しかった、ということもあるでしょう「娘のダメージになるようなことは、仕事でもプライベートでも極力排除したい」と願って娘を守りたいと思う気持ちは、一般の人の親御さん以上のものがあったはずですですが、結婚や離婚という本人の人生を決めることになる重要な選択となると話は別幸せな人生を選ぶためには、子どもの親離れも親の子離れも必要になるのです結婚や離婚を機に、一度、親との距離を見つめ直すことも大事宮沢さんの場合も、今後、彼女がどのような道を自分で選んで歩んでいくのかはとても興味深いところです
■岡野あつこ(おかの・あつこ) 1954年8月5日埼玉県出身夫婦問題の悩みを解決するカウンセリング事業や、カウンセラーを育成する岡野あつこのライフアップスクールなどを運営する、株式会社カラットクラブ代表取締役NPO日本家族問題相談連盟理事長1991年よりカウンセリング事業を開始、2万5000件以上のカウンセリング実績をもつ現在は、後進の育成にも力を入れており、ライフアップスクールの卒業生は1800人を超えている夫婦問題解決のプロとしてメディアに出演し、一人でも多くの人に笑顔が戻るよう日々活動中である離婚相談救急隊 http://www.rikon.biz/
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結局、村山社長は辞任し、長谷川如是閑社会部長をはじめ幹部も多数退社します『朝日』の論調はここで大きく転換して、その後、どの社よりもすごい軍国主義礼賛の新聞社になっていきます
『正論』10月号(「廃刊せよ!消えぬ反日報道の大罪」)で櫻井よしこさんも指摘していますが、『朝日』は昭和20年(1945)8月14日の社説で原爆の惨禍に対して「一億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである」と書いていますこのときにはすでに、日本がポツダム宣言を受諾する方向であることはつかんでいたはずなのに、臆面もなく、こういう扇動的な記事を載せていたのです
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