-もし朝起きて親父が金髪だったら- 【あまり本文と関係なし】
「TIME」紙なんかに東アジア系超モンゴロイディなオッサンが
表紙なんかに載ってるのを見て違和感を憶えたりすること
ないでしょうか?
僕あります。
そこで下の画像を見比べていただきたい。
ちなみに画像は僕が一切の悪意なく、あくまでも比較資料
として作ったものであることをご理解いただきたい。
いかがだろうか?
日本文より英文の方が人物がブサイクに映らないだろうか?
アルファベットは、とりわけ英語を解さない人にとっては、
文字という意味を内包するもではなく、視覚そのものに
訴える美しい造形物となる。
故に、残念ながら全くもって美しくないモンゴロイディな
おっさんとその美しい造形物とを無意識裡に比較してしまうのだ。
そしてその不釣り合いさが違和感となって表出する。
アルファベットを別のものに置き換えてみよう。
例えば、ロン毛。
感覚が古いとのそしりをうけるかもしれないが
一般的にロン毛=キムタクであり、キムタク=イケメン
であり、ロン毛はイケメンを連想させるものだ。
街中でロン毛ブサメンを見掛けた時、
誰しも、一度は思ったことがあるだろう。
”似合わね~”と。
少し前の話だがTVがライブドア事件一色に染まっていた頃、
元ライブドア社長のオン・ザ・エッヂ時代のインタビュー映像が
公共の電波に垂れ流された。
その時、日本中の心がひとつになったのではないだろうか?
「アウト~!!」
ちなみに本記事は英語理解出来ないセグメント向け発信となっている。
アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ!
表紙なんかに載ってるのを見て違和感を憶えたりすること
ないでしょうか?
僕あります。
そこで下の画像を見比べていただきたい。
ちなみに画像は僕が一切の悪意なく、あくまでも比較資料
として作ったものであることをご理解いただきたい。
いかがだろうか?
日本文より英文の方が人物がブサイクに映らないだろうか?
アルファベットは、とりわけ英語を解さない人にとっては、
文字という意味を内包するもではなく、視覚そのものに
訴える美しい造形物となる。
故に、残念ながら全くもって美しくないモンゴロイディな
おっさんとその美しい造形物とを無意識裡に比較してしまうのだ。
そしてその不釣り合いさが違和感となって表出する。
アルファベットを別のものに置き換えてみよう。
例えば、ロン毛。
感覚が古いとのそしりをうけるかもしれないが
一般的にロン毛=キムタクであり、キムタク=イケメン
であり、ロン毛はイケメンを連想させるものだ。
街中でロン毛ブサメンを見掛けた時、
誰しも、一度は思ったことがあるだろう。
”似合わね~”と。
少し前の話だがTVがライブドア事件一色に染まっていた頃、
元ライブドア社長のオン・ザ・エッヂ時代のインタビュー映像が
公共の電波に垂れ流された。
その時、日本中の心がひとつになったのではないだろうか?
「アウト~!!」
ちなみに本記事は英語理解出来ないセグメント向け発信となっている。
アイ キャン ノット スピーク イングリッシュ!
-Dreamドリーミング-
夢の存在意義とは
・無意味な情報を捨て去る際に知覚される現象
・必要な情報を忘れないようにする活動の際に知覚される現象
(Wikipediaより)
最近よく夢を見る。
僕は実に心が弱いので、少しでも不安を憶えると寝付きが悪くなり
眠りも浅くなってしまう。いわゆるレム睡眠というやつが続いて
いるのだろう。
先日も貯蓄と人生設計の大切さを秋吉久美子とアグネスチャンに
入れ替わり立ち代わり滔々と説教されたものだ。
今でもその詳細まで鮮明に記憶している夢がある。
ひとつめは少しシリアスな夢。
僕は殺人を犯し且つ金品も奪ったので強盗殺人となり、死刑を覚悟
しながら逃亡を続けている中、とある服屋に入って気に入った服を
手に取り(この服を買ってもどうせ死ぬんだから何の意味も無い
んだな…)という虚無感に襲われた夢。
今でもその時の感覚を忘れられない。
ふたつめは高校生時に見た切ない夢。
僕より全ての面において優秀な2つ年下の弟と
山口リエ を奪い合い、そしてその争いの勝者となった僕が
弟に「結局、いつだって兄貴だよ」と言われた夢。
現実との差に触れる必要は無いと思うのでここでは省略させていただこう。
そしてもう一つの忘れられない夢。
少し話しはそれるが、僕が育った地域には大企業が多く、その
恩恵に預かってか貧乏な家庭というものを殆ど見なかった。
そんな中ただ一人、例外な子供がいた。
その子は多田君といった。
まず、その見た目からして絵に描いたような貧乏ファッションだった。
成長期という子供の大前提を無視するかのようなピッチピチな服のサイズ。
もう少し配色考えていこうぜ、と言いたくなるようなステッチという名の
つぎはぎ。
姉のおさがりであることをわざわざ明示してるかのような、光GENJI等
ジャニーズのステッカーが貼られたかばん。
(さらに本人がそのステッカーを剥がそうとした痕跡が見られるのが
より哀愁を誘う。)
僕が後にも先にも白黒テレビというやつを見たことあるのは
多田君の家でだけである。
ちなみにそんな彼のあだ名は「社長」だった。一時期「部長」に
降格していたが小学校卒業時には無事に「社長」に返り咲いた強い子だ。
夢の話に戻ろう。
僕が今でも一番強烈に印象に残ってる夢。
夕暮れ時。なぜそう知覚しているかというと、夢全体の色彩が赤色に
染まっていたから。
僕は一人、近所のスーパーに入っていく。
入り口から目的の菓子コーナーへ進み、当時流行っていた
ビックリマンチョコを手に取る。
その時僕は何故か青果コーナーから禍々しい気配を感じた。
僕は手にしたビックリマンチョコを戻し、恐る恐るその気配の
発生源に近づく。
そこで僕が見たのはサングラスで顔を隠して必死にみかんを万引きして
いる一人の中年女性。
…多田の母親の姿だった…。
それはもう禍々しいとか、そんな表現なんかでは全然、物足りなくて
敢えて言うなら、全ての、平和なスーパーの光景を飲み込むブラックホール。
鬼の様な形相でみかんを万引きし続ける多田の母さん。
サングラスしてるのにばればれな多田の母さん。
みかんより高価な果物の存在を無視する多田の母さん。
給食以外で珍しくみかんを口にする多田と多田の姉。
そして深く赤い夕暮れ…。
その後、多田家は夜逃げをし、多田君自身はヤンキーとなったという
都市伝説がまことしやかに広まったなんてエピソードでこの話を締めたいと
思う。
サンセットメモリーず
平日の夕暮れ前なんかに外を歩いていると
下校中の小学生達とすれ違ったりして、
ちょっと群れから距離を置いて一人で歩いてる
子なんかを見ると、なんかくすぐったいような
奇妙な親近感と同時にある種の感傷が
鼻先をかすめてしまう。
水たまりにぽつんと浮いてる落ち葉のような
澄んだ寂寥感と、それでいて布団に潜り込んだような
安心感。
少しばかりポエームに走りすぎたが、要するに
僕の少年時代は孤独だったのだ、とても。
友達がいなかったのだよ、親に心配されるくらい。
家に帰ると遊びに行っておいでという母。
かばんを置いて無言で頷いて外に出る僕。
振り向きかけたが止めた息子の背中を見守る母。
近所の山腹にある神社で日が暮れるまで一人時間を潰す僕。
等間隔で疾走する鶏と猫。
遊んでた演出のためにちょっぴり服を汚す僕…
これ以上続けると自分探しの旅に出てしまいそうだからここらで止めておこう。
今でも鮮明に憶えてる記憶。
小学校での昼休み、遊ぶ相手もいない僕は
一人で教室にいるのが嫌で
人気の無い校舎の裏でぼんやりと時間を潰していた。
するとそこに近所の一学年下の男の子が通った。
その時だった。
…一人でいると思われたくない…
僕はとっさに、それはもう完全に無意識の裡に
かくれんぼをしてるふりをしていた…。
一人で。
壁に手をかけ片目だけ端から覗かせて。
それはもう真剣な表情で。
見つかってたまるか、と。
…大丈夫、君は見つかりはしないよ…きっと…。
ちらっとこちらを見た後、何事も無かったように
遠ざかって行く彼の背中を見詰めながら思った。
このポーズの止め時が分からない、と。
あれから20年の年月が流れ、僕は三十路を越えた。
そして今、似た様な境遇の子供をじっと見詰めている自分を
ふと客観視する。
…端から見たら単なる変質者じゃん。
この時間帯、世間の三十路男達は働いてるし。
気をつけないと。職質は勘弁被りたい。
相も変わらず僕は残念である。
下校中の小学生達とすれ違ったりして、
ちょっと群れから距離を置いて一人で歩いてる
子なんかを見ると、なんかくすぐったいような
奇妙な親近感と同時にある種の感傷が
鼻先をかすめてしまう。
水たまりにぽつんと浮いてる落ち葉のような
澄んだ寂寥感と、それでいて布団に潜り込んだような
安心感。
少しばかりポエームに走りすぎたが、要するに
僕の少年時代は孤独だったのだ、とても。
友達がいなかったのだよ、親に心配されるくらい。
家に帰ると遊びに行っておいでという母。
かばんを置いて無言で頷いて外に出る僕。
振り向きかけたが止めた息子の背中を見守る母。
近所の山腹にある神社で日が暮れるまで一人時間を潰す僕。
等間隔で疾走する鶏と猫。
遊んでた演出のためにちょっぴり服を汚す僕…
これ以上続けると自分探しの旅に出てしまいそうだからここらで止めておこう。
今でも鮮明に憶えてる記憶。
小学校での昼休み、遊ぶ相手もいない僕は
一人で教室にいるのが嫌で
人気の無い校舎の裏でぼんやりと時間を潰していた。
するとそこに近所の一学年下の男の子が通った。
その時だった。
…一人でいると思われたくない…
僕はとっさに、それはもう完全に無意識の裡に
かくれんぼをしてるふりをしていた…。
一人で。
壁に手をかけ片目だけ端から覗かせて。
それはもう真剣な表情で。
見つかってたまるか、と。
…大丈夫、君は見つかりはしないよ…きっと…。
ちらっとこちらを見た後、何事も無かったように
遠ざかって行く彼の背中を見詰めながら思った。
このポーズの止め時が分からない、と。
あれから20年の年月が流れ、僕は三十路を越えた。
そして今、似た様な境遇の子供をじっと見詰めている自分を
ふと客観視する。
…端から見たら単なる変質者じゃん。
この時間帯、世間の三十路男達は働いてるし。
気をつけないと。職質は勘弁被りたい。
相も変わらず僕は残念である。