遠藤周作「沈黙」 | VCE - Abito A Ghetto -

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感性と知性が財産です。

遠藤周作先生に「深い河」のファンレターを送り、
ご丁寧な実筆のお返事が先生から直接返ってきました。
お亡くなりになる半年前だったと思います。
そのお返事は今でも大切に保管しています。
20年経ちましたが、今そのお返事で先生がお伝えしたかった
ことを、人や神の優しさを自分なりにようやく理解できました。


 

隠れキリシタンの精神世界を描いたものとして、
「沈黙」という作品は最も適切な作品のひとつだと
考えています。

舞台は禁教令が敷かれている長崎で、キリスト教
への信仰を捨てざる負えなかった外国人宣教師ロドリコと、
キリスト教の信仰を守り続ける日本人キチギローの
苦悩を描いています。

日本史で踏み絵というものがあったのを覚えていますか?
沈黙で描かれているのは、その踏み絵を通して
キリスト教への信仰を捨てるのではなく、
キリストも踏まれることによって、禁教下の信者と
同じ苦しみ、痛みを分かち合うのです。

僕が、伊郷と陽子の関係で描きたかったのは、
キリスト像を踏む隠れキリシタンの罪悪感と、同じ苦しみを
分かち合うキリストに、伊郷と陽子を重ね合わせました。

伊郷は今日を生きるために、欲望にまみれて陽子を抱く。
しかし、陽子はその痛みを分かち合いうことでしか、伊郷を
救えない。伊郷も陽子の心の痛みがわかっているから、
快感を得るのは一瞬だけで、その後は強い罪悪感に
苛まれる。

一方で、陽子も息子を育て上げるために、伊郷の欲望を
掻き立てて、欲望に応じる。それが、陽子の息子のためになる
のであれば、伊郷はこれまで積み上げてきたものを捨てる。

伊郷と陽子を通して、僕なりの「沈黙」の答えを先生に出すことが
できたと思います。

僕は君が生き抜いてくれるためだったら、君の足に踏まれて
痛みを分かち合うことで、君に報いることができると思う。