プラス受信で「道は開ける」

(青山通りからの原宿方面)


昨年の同じ日の記事(の再褐)です



暑い夏がくると思いだすシーンがあります


田舎からの転勤で「初めての」東京勤務


29歳でした


もっとも、大学の4年間も東京にいたので、


本当の意味では初めてではありませんでしたが


仕事と大学生活では全然ちがうので


「戸惑うことばかり」でした


7月下旬でしたから、もちろんくそ暑かったです


決められた担当地区の1つに、青山(南青山・北青山)がありました


ときは、平成の初めごろ、まだバブル時代でした


営業は、いつも「表参道駅」をスタートにしました


「君島インターナショナル」の看板を見ながら


(金融機関マンでしたが)必死で営業をしては


スパイラルホールの中2階やハナエモリビルで汗を拭いて、ひと休みでした


少し時間の余裕があるときは、お昼に小原流会館地下の「ふーみん」の行列に並びました


世の中に、(それだけで)ご飯を2杯も食べられるこんなにもおいしいザーサイ(取り放題)があることをはじめて知りました


あるとき少し足をのばして、


となりの神宮前(=原宿)まで行ってみました


原宿ルイードで女の子だけの無名の集団が何か演じていました


ワンドリンク付き、1Hで1,000円


昼間ですから「缶ジュース」のことですけど


中を覗くと


10代の7人の女の子の集団が、踊って歌っていました


「どうぞどうぞ」と半ば強引に入れられました


本来は、毎週末のみのステージでしたが、


夏休み期間は平日でも毎日やっていたのでした


口コミだけで世の中に出ていくぞ~的な「売り(ノリ?)」でした


営業中に顔を出しただけなので、20分も見ていられませんでした


中座しようとすると、女の子の顔が「がっかり」したようにも見えました


ステージ上は7人でしたが、


お客さんも7~8人しかいなかったからです



「お願いこれ以上(ヒトが)減らないで」に見えました



いつの間にか


ステージ上で躍動し、とても未来溢れる、明るい彼女たちの姿に、


「自分の」東京でのこれからの活躍を「願いをこめて」重ねていました


その後も、ステージには何回か顔を出してみました


1度だけ、早々とノルマを達成したとき、最後まで見れたことがありました


10名もいないお客さんたちに、終わったあと彼女たちは、


出口で一生懸命握手をしていました


もちろん、わたしもしてもらいました


少し売れ始めたころには、番号の若いファンクラブ会員にもなりました


「東京パフォーマンスドール」という名のその子たちは


その後、たくさんのTVに出たり、武道館公演もできるほどに売れました


その中には、


1けたのお客さんの前で、一生懸命、歌って、踊って、頭を下げていた


まだ10代の 篠原涼子さん の姿がありました


彼女たちの歌の中で


私が一番好きな歌


overnight success


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