小林敦というバレー選手 | バレーボールワールド     中西美雁の日々是排球

小林敦というバレー選手

小林さんのブログを読んだ。結構反響があったようだ。
選手にも、ライターにもいろんな有形無形の制約とプレッシャーがある中で、よく書かれたなと思う。それだけ危機感が大きいのだろう。

私なんかがわざわざフォローすることでもないが、彼はありがちな、他人事として適当に批判するタイプの人ではない。デビューの頃は結構はじけてたし、その後いまいち伸び悩んでいた時期もあった。自分が世界レベルで身体能力的にはトップには立てないと冷徹に自己認識したところから、彼の新しい挑戦が始まっているのだ。

それが前向きに挑戦するココロと冷静にデータ分析をするところとして方向が定まったわけである。

2002年世界選手権の後に、参加した選手全員にインタビューしたことがある。一番印象的だったのが、この小林選手だった。

彼は、トライアウトを受けるのは選手として当然だと思ったし、もし今年落ちたとしても、来年普通に受けたと思う、と何のてらいもなく語っていた。斜に構えて上を批判すれば何となく賢げに見えるでしょ、という風潮(このときインタビューした他の選手がそうだったというわけではなくて、バレー界全体的な風潮として)とは全く異なる潔さ、聡明さに惹かれて連載をお願いすることにしたのだ。

妻子持ちの控えのセンターに連載を頼むなんて、と当時の社長は不満そうだったが、テレビやスポーツ総合誌ではできない、やらないことでも、専門誌ならではの役割と意義があると思った。自分のその考えは、正しかったのだと今でも思う。

上を目指すこと、一生懸命になることがともすればかっこわるいこととされがちな日本男子バレー界で、彼は数少ないそうではない人だ。

OQTでキャプテンになった彼は、目論んでいたことがなかなか実現できないことに苦しんでいたようだった。同じくOQTに参加した齋藤選手や、同期の笠原選手らとともに、秋山コーチの力を借りて「組織バレー」で日本を制覇した。

アブラモフはすぐれた選手だったけれども、彼一人の力で勝ったわけではない(それは東レの前年度の成績を思い出せば自明の理だ)。
同じメンツで、なぜそんなドラスティックな変化があったのか。東レバレーの中にあっては素晴らしい働きを見せていた田辺がなぜあんなにワールドリーグがボロボロだったのか。

今全日本と東レが試合をしたらどうなるんだろう、と時々考える。