なぜ人は怒るのか
最近、人に怒るということをしていないことに気づきました。
元々温厚な性格のせいで(自分で言うな)そういうことをしなくなりましたが、根本的になぜ人は怒るのか、と疑問になりました。
その一つの理由に、「基準」と「注意資源」があると考えられます。

基準
自分を基準にしている、ということは自分を最下位に見ている、ということです。
つまり、自分よりできないやつを叱る、という点では、その方が都合のいいことだからです。
仮に自分が頂点として考えたとしても、ほかの人は自分よりできないやつであるとみなせますが、現実とのギャップを理由に、それは自身により否定されます。
自分よりできない、というのは組織に属する人の防衛本能でもあります。
生産性が下がるということ。
自身の属する組織の価値が下がる、こと。
また、自分が叱る、という動作をすることによりその危険性を排除すること。
以上の点から、怒る、という結果的行為に繋がります。

注意資源
人が何かを「注意」しするときにこの資源は消費されます。とはいっも「なんとかちゃん、だめよ!」という注意ではなく、「足下に注意する」の注意ですね。
この資源は、「心理的コスト」「物理的コスト」「経済的コスト」から成り立っています。
心理的コスト:怖いな、危ないな、どうしようかな、といった不安や心配、それを考える手間です。
物理的コスト:場所や時間といったことを消費する時のコストです。
経済的コスト:お金を払う時のコストです。

これらから構成される、「注意資源」の維持のためにまたは別なところでの消費のための維持を理由に人々はそれらを害する人に怒るのです。

近づくリスクと離れるリスク
以上のような行為はあえて近づくという視点から成立しています。
しかし、なぜそのような危険を犯すのでしょうか?という疑問が怒るのは当然です。

そこで考えるのが離れる場合にはどういうリスクがあり、行動に見合うリスクで済むのかということです。

離れることで既知の脅威からは逃れられますが未知の脅威が現れることが考えられます。
既知の脅威のほうが、経験や対策がある程度わかるので、対応が早く適切に行われるでしょう。
一方、未知の脅威は対応の仕方がわからないことがあります。その点で、近づいて調べるというのが適切かどうかすらも分からないのです。

怒る人も損をする
以上で怒る理由を説明しましたが、実は「怒る側」は怒る行為に対して対価を払う必要があります。
ある記事によれば、怒る行為をした人、それを聞いた人も、生産性が30%も低下するらしく、ある意味では組織に必要な「脅威」の分散がされたと、捉えられるでしょう。
2:8の法則によって、組織の怒られる人が再構成されたとも言えますね。

最後に
怒るのはするもされるも、エネルギーがいります。
怒るより対策、改善案を考える方が有意義でしょう。