最近、なぜか『もののけ姫』に強く惹かれている。

子どもの頃にも観たことがある。

けれど、あの頃と今とでは、まったく違う作品のように感じる。

作品が変わったわけではない。

きっと、僕自身が変わったのだと思う。

人生の中でさまざまな経験をし、いろいろな人と出会い、学びを重ねてきた今だからこそ、『もののけ姫』の中に描かれている世界が、以前よりも深く心に響くようになった。

そして最近、ある『もののけ姫』の考察を読んだことで、これまで僕が学んできたことが、不思議なほど一本につながった。


①『もののけ姫』には、完全な悪役がいない

『もののけ姫』を観ていると、「誰が正しいのか」が分からなくなる。

森を破壊するエボシ御前は、一見すると悪役に見える。

しかし彼女は、当時の社会から虐げられていた人々に居場所を与え、生きるための仕事を与えている。

一方、森を守るサンは自然側の存在でありながら、人間への激しい憎しみを抱えている。

猪たちも森を守ろうとするが、怒りや恐怖に飲み込まれていく。

人間が悪で、自然が善。

そんな単純な物語ではない。

見る立場が変われば、正義も変わる。

サンにはサンの世界がある。

エボシにはエボシの世界がある。

猪たちには猪たちの世界がある。

それぞれが、それぞれの立場から見れば、自分たちなりの理由を持って生きている。

だからこそ、アシタカの言葉が重要になる。

「曇りなき眼で見定める」

どちらか一方を正義と決めつけるのではない。

どちらか一方を悪として切り捨てるのでもない。

なぜ、その人はそうするのか。

なぜ、その人は怒っているのか。

なぜ、その人は戦わなければならないのか。

一つの視点だけではなく、さまざまな角度から世界を見る。

僕は今、この姿勢こそが、とても仏教的なのではないかと感じている。


② 自分が見ている世界は「世界そのもの」ではない

僕たちは、自分が見ている世界を「現実」だと思っている。

しかし、本当にそうなのだろうか。

同じ出来事を経験しても、人によって受け取り方はまったく違う。

ある人にとっての正義が、別の人にとっては苦しみになることもある。

ある人にとっての成功が、別の人にとってはまったく魅力的ではないこともある。

つまり僕たちが見ているのは、

「世界そのもの」ではなく、自分という一つの視点から見た世界

なのかもしれない。

仏教には「縁起」という考え方がある。

あらゆるものは、それ単独で存在しているのではなく、無数の原因や条件、関係性の中で生じている。

人間も同じだと思う。

その人の言葉だけを見れば腹が立つかもしれない。

しかし、その人の生い立ちを知ったら見え方が変わるかもしれない。

さらに、その人が置かれている社会的な背景まで知れば、また違った見え方になるかもしれない。

視点が増えるほど、世界は単純ではなくなっていく。

善か悪か。

正しいか間違っているか。

味方か敵か。

そんな二つの箱だけでは、世界を説明できなくなっていく。


③ 生と死も、本当は分かれていないのかもしれない

『もののけ姫』に登場するシシ神は、不思議な存在だ。

命を与える一方で、命を奪う。

歩いた場所には草木が生まれ、そして枯れていく。

生の神でもなければ、死の神でもない。

生と死の両方を含んだ存在として描かれている。

僕たち人間は、生と死を分けて考える。

生は良いもの。

死は悪いもの。

健康は良いもの。

病気は悪いもの。

光は良いもの。

闇は悪いもの。

しかし自然界を見れば、生と死は本当に分かれているのだろうか。

落ち葉は土に還り、次の生命の栄養になる。

一つの生命の死が、別の生命を支えている。

夜があるから、朝がある。

冬があるから、春がある。

僕自身、これまで大切な人との別れを経験してきた。

看護師としても、多くの人の生と死に触れてきた。

そして自分自身も、心身の不調や苦しみを経験してきた。

昔の僕なら、それらをすべて「なくしたいもの」と考えていたかもしれない。

しかし今は少し違う。

闇を消して光になるのではない。

闇を抱きしめて、光になる。

死を否定することで生を肯定するのではない。

死があるからこそ、今ここにある生命の尊さを知ることができる。

もしかすると、僕たちが「反対のもの」だと思っているものは、もっと大きな視点から見れば、一つの循環の中に存在しているのかもしれない。


④ 多角的に世界を見ることは、ワンネスに近づくこと

最近、僕は「ワンネス」という言葉について考えることがある。

すべては一つ。

宇宙は一つ。

生命はつながっている。

言葉だけで聞くと、少し抽象的に感じるかもしれない。

けれど僕は、ワンネスに近づくために必要なのは、特別な体験だけではなく、

物事を多角的に見ること

なのではないかと思うようになった。

自分の立場からだけ見る。

自分の価値観だけで判断する。

自分の正義だけを信じる。

その状態では、世界は「自分」と「自分ではないもの」に分かれていく。

しかし、別の人の立場から世界を見てみる。

さらに別の人の視点からも見てみる。

自然の側から見る。

社会の側から見る。

身体から見る。

心から見る。

科学から見る。

哲学から見る。

仏教から見る。

視点を増やしていくと、それまで対立しているように見えたものの奥に、共通するものが見えてくることがある。

人間と自然。

生と死。

光と闇。

自分と他者。

それらは完全に切り離された存在ではなく、互いに影響し合いながら存在している。

多角的に見ることによって、分離して見えていた世界が、少しずつ一つにつながっていく。

僕にとって、それが「ワンネスに近づく」ということなのかもしれない。


⑤「宇宙人」に出会う

以前、晃月遊先生から興味深い話を聞いた。

ランダムウォークをして、「宇宙人」に出会う。

ここでいう宇宙人とは、本当の宇宙人のことではない。

自分とはまったく異なる価値観や世界観を持った人のことだ。

僕たちは放っておくと、自分と似た人、自分が理解できる人、自分が安心できる世界の中に留まりやすい。

しかし、その世界の中だけにいると、自分の常識はなかなか変わらない。

自分の常識が変わらなければ、見える未来も大きくは変わらない。

だから、ランダムウォークする。

いつもと違う場所へ行く。

知らない世界を覗いてみる。

自分とは違う仕事をしている人と話す。

自分とは異なる価値観を持つ人に出会う。

すると時々、

「そんな生き方があるのか」

「そんな考え方があるのか」

「そんな世界が存在していたのか」

と思うような人に出会う。

その人が、自分にとっての「宇宙人」なのだと思う。

宇宙人に出会うと、自分の世界が揺さぶられる。

それまで絶対だと思っていた常識が、実は一つの価値観にすぎなかったと気づく。

そして認識が広がる。

今まで見えなかった選択肢が見える。

今まで思いつかなかったゴールが生まれる。

もしかすると、これが「新しい時代の引き寄せの法則」なのかもしれない。


⑥ 願って待つのではなく、世界を歩く

「引き寄せの法則」というと、

強く願えば叶う。

イメージすれば現実になる。

そんなイメージを持つ人もいるかもしれない。

しかし僕は最近、それだけではないように感じている。

ゴールを持つ。

そして、動く。

世界を歩く。

予定調和から少し外れてみる。

宇宙人に出会う。

自分の固定観念が揺さぶられる。

認識が広がる。

すると、それまで自分の認識の外側にあった人や情報、可能性が見えるようになる。

そして新しい縁が生まれる。

ゴールを持つ
ランダムウォークする
宇宙人に出会う
自分の常識が揺らぐ
世界を多角的に見るようになる
認識が広がる
今まで見えなかった可能性が見える
新しい縁や選択肢が生まれる
ゴールへ向かう現実が動き始める

引き寄せとは、何もしないで奇跡を待つことではない。

自分の宇宙の外側へ歩いていくこと。

そして、そこで出会った異なる世界を拒絶するのではなく、

「この人には、世界がどう見えているのだろう」

と考えてみること。

それによって、自分自身の宇宙が広がっていく。

そんな現象なのかもしれない。


⑦ アシタカもまた、ランダムウォークしていた

そう考えると、『もののけ姫』のアシタカもまた、ランダムウォークした人なのかもしれない。

故郷を離れ、西へ向かう。

そして、自分の村では出会うことのなかった世界に出会う。

サン。

エボシ御前。

タタラ場の人々。

森の神々。

猪たち。

それぞれが、まったく異なる世界を生きている。

アシタカは、そのどれか一つの世界に完全に染まることはない。

しかし、どの世界も見ようとする。

サンの痛みも見る。

エボシの事情も見る。

タタラ場で生きる人々の現実も見る。

森の怒りも見る。

だからこそ彼は、

「曇りなき眼で見定める」

と言うのだと思う。

それは「何も判断しない」という意味ではない。

暴力を前にして、何もしないわけでもない。

必要な時には身体を張って止める。

しかし、相手そのものを「悪」と決めつけ、憎しみに飲み込まれることはしない。

異なる世界の間を歩きながら、より大きな視点から世界を見ようとする。

その姿は、僕が今考えている「多角的に世界を見る」ということに、とても近いように感じる。


⑧ 僕自身も、たくさんの「宇宙人」に出会ってきた

振り返ってみると、僕自身もさまざまな世界を歩いてきた。

看護。

医療。

心理学。

原始反射。

身体へのアプローチ。

アロマ。

音。

東洋的な考え方。

仏教。

自然。

農業。

それぞれの世界には、それぞれの言葉があり、それぞれの常識がある。

もし僕が一つの世界だけに留まっていたら、今の僕の世界観はなかったと思う。

ある世界から見れば正しいことが、別の世界から見れば違って見える。

だから僕は、どれか一つだけを絶対的な正解にしたいわけではない。

身体だけでもない。

心だけでもない。

科学だけでもない。

目に見えない世界だけでもない。

人間を一つの理論だけで説明することはできない。

いろいろな角度から一人の人を見る。

その人の身体を見る。

心を見る。

生い立ちを見る。

家族を見る。

環境を見る。

その人が歩いてきた人生を見る。

それぞれの視点を重ねていくことで、初めて見えてくるものがある。

もしかすると、それが僕の目指している「人生の伴走者」という在り方なのかもしれない。


⑨ 自分の見ている世界は、世界のすべてではない

今回、『もののけ姫』について考える中で、一つの言葉が自分の中に残った。

自分の見ている世界は、世界そのものではない。

僕が見ている世界も、一つの視点にすぎない。

だからこそ、人と出会う。

自分とは違う世界を生きている人と出会う。

時には理解できない価値観にも触れてみる。

そして、

「この人には、世界がどう見えているのだろう」

と考えてみる。

そうすることで、自分の世界が少しずつ広がっていく。

善と悪。

光と闇。

生と死。

自然と文明。

自分と他者。

それまで分かれているように見えたものが、もっと大きな視点から見ると、一つの世界の中でつながっていることに気づく。

きっと、ワンネスとは、

「すべては一つだ」

と頭で信じることだけではない。

自分とは異なる存在を理解しようとし続けること。

その積み重ねの中で、少しずつ体験していくものなのかもしれない。

だから僕は、これからも世界を歩いていきたい。

自分の常識の外側へ。

まだ知らない場所へ。

まだ出会ったことのない「宇宙人」に会いに。

そして、できる限り、

曇りなき眼で、世界を見定めながら。

違う世界を生きる人と出会うたびに、僕の宇宙は少しずつ広がっていく。

その先で、今はまだ想像もしていない未来や、新しい縁に出会えるのかもしれない。

僕はそれを楽しみにしながら、これからも歩いていきたいと思う。