失われた30年と、
あの頃の音楽が教えてくれるもの。
最近、昔のドラマや音楽に
ふと心が引き寄せられることが増えた。
ヒステリックブルーの「春」や「なぜ…」。
ブリリアントグリーンの「そのスピードで」「愛のある場所」。
川本真琴の「1/2」。
あの頃の曲を聴くと、
ただ懐かしいだけじゃなく、
胸の奥に眠っていた何かが、静かに息を吹き返す。
昔の音楽やドラマには、
今とは少し違う“生命力”があった気がする。
荒削りで、不器用で、でもまっすぐで。
作り手の個性や感情の揺らぎが、
そのまま作品に溶け込んでいた。
今の時代は、
規制・配慮・炎上回避。
角を削られた「安全な表現」が増え、
誰も傷つかない代わりに、
誰の心にも深く刺さらない作品が増えた。
その空気は、
音楽やドラマからも、
少しずつ熱量を奪っていったのかもしれない。
ふと思う。
最近のJ-POPが、
どこか元気を失っているように感じるのは、
社会そのものが、長い停滞の中で
少しずつ疲れてしまったからではないか、と。
“失われた30年”。
経済が伸びず、
希望が語られず、
挑戦よりも「無難」が選ばれてきた時代。
その空気の中で育った若い世代は、
自分を強く表現することよりも、
「叩かれないこと」を選ばざるを得なくなった。
音楽は、いつも時代の鏡だ。
僕らが子どもだった頃、
日本にはまだ
「未来はきっと良くなる」という空気があった。
街にも、テレビにも、J-POPにも、
どこか“前へ進もうとする体温”が宿っていた。
学校帰りの夕焼け。
コンビニの前で、友だちと笑っていた時間。
古いCDラジカセから流れていた、あのメロディ。
それらすべてが、
「日本がまだ輝いていた時代の記憶」と
静かにつながっている。
だから僕が今、
あの頃の音楽に惹かれるのは、
懐古のためでも、
過去に戻りたいからでもない。
もう一度、
自分の内側に
あの頃の生命力を取り戻すためだ。
失われたものを嘆くのではなく、
内側から、小さな灯りを灯し直すために。
音楽は、きっとその入口なんだ。
懐かしさは、ただの nostalgia じゃない。
それは
魂が帰る場所を、そっと指し示す感覚なのだと思う。