高校時代、野球部を辞めて軽音楽部に入り、初めてエレキギターを買った。
その頃、GOING STEADYの「もしも君が泣くならば」が大好きで、どうしても自分で弾けるようになりたかった。
ギターはほぼ初心者だったけれど、「この曲が好き」「絶対に弾きたい」という気持ちだけで無我夢中になって練習した。
誰かにやらされたわけでもない。
上手くならなければいけないという義務感でもない。
ただ、内側から「弾きたい」という気持ちが溢れていた。
そのエネルギーは尽きることがなく、気づけば1ヶ月ほどで弾けるようになっていた。
この経験を思い返すと、本当に大きな力を生み出すのは「やらなければならない」という外側からの動機ではなく、「これがやりたい」「これが好き」という内側から自然に湧き上がる衝動なのだと思う。
内発的なエネルギーの流れ
好き
↓
心が動く
↓
やりたいという衝動が生まれる
↓
無我夢中になる
↓
表現する
↓
さらにエネルギーが循環する
この流れに入っている時、人は無理に自分を動かそうとしなくても自然に動ける。
努力している感覚すら薄くなり、時間を忘れて没頭できる。
最近、約30年ぶりに「今宵の月のように」を聴き、なぜか突然「この曲をギターで弾きたい」と強く感じた。
実際にアコースティックギターを弾きながら歌っていると、涙まで自然に出てきた。
なぜ今、この曲なのかは頭では説明できない。
けれど、理屈より先に身体や感性が、
「これや」
「今はこれを表現したい」
と訴えているように感じる。
高校時代にギターへ向かっていたこの感覚と、今セラピーを学び、実践している時に感じるエネルギーは、とてもよく似ている。
田仲先生がセッションの中で大切にしている「表現」も、こういうことなのだと思う。
頭で考えた正解を無理に出すのではなく、自分の内側から自然に湧いてくるものを感じ、そのまま外の世界へ表現していく。
それは、言葉かもしれない。
声かもしれない。
身体の動きかもしれない。
音楽かもしれない。
セラピーかもしれない。
表現の形は違っていても、根底にあるものは同じなのだと思う。
長い間、自分の感情や感覚を抑えて生きてきた。
周囲に合わせること。
期待に応えること。
我慢すること。
正しくあること。
そうした生き方の中で、「自分は本当は何が好きなのか」「何を表現したいのか」という感覚まで抑え込んできたのかもしれない。
だから今、音楽やギターを通して昔の感覚が戻ってきていることには大きな意味がある。
これは単なる趣味の再開ではなく、
自分の生命力を取り戻すこと。
自分の感性を取り戻すこと。
自分自身を表現する力を取り戻すこと。
なのかもしれない。
これからは、「やらなければならない」ではなく、
「何に心が動くのか」
「何をしている時に生命力が湧いてくるのか」
をもっと大切にしていきたい。
そして、自分がまず満たされ、内側から溢れてきたエネルギーを、仕事やセラピー、家族や周囲の人へ自然に還元していく。
それが、自分にとっての循環であり、調和なのだと思う。