先週からファンドの出資者総会と、投資先の株主総会が相次いだ。
今日でそれも終了。
ファンドの出資者総会は、例年通りタンタンと進んだが、機関投資家、要は金融機関の方々は昨今の時勢柄、ファンド会計をどう取り込むかに関心が高かく、別途意見交換の場を設けさせてもらった。互いに本質でない部分で、機関投資家の方も済まなさそうに質問されるし、なんとも無駄で、互いに楽しくない時間だ。ホリエモンや村上さんが聞いちゃった!じゃなく、「やっちゃった!」お陰でえらい迷惑である。日ごろ、どちらかというと彼らの弁護側の僕もこのときばかりは恨み節。
日本はよく「嫉み社会だ」と言われ、「出る釘は打たれる」が、いつまでそれを続けるつもりなんだろう。
「出る釘を引っ張り延ばす」社会に変わるはずだったのが、少し景気が良くなって危機感がなくなるとまた「出る釘は叩く」社会へ後戻り。ファンド運営でも同様で、少人数でリスクをテイクするから良いパフォーマンスも可能だが、それを過度な事務作業とあらゆる事態を想定してリスク回避に走ったら、制約下での運用を余儀なくされたら、事故はないかも知れないがパフォーマンスはその分、低下する。
さて、投資先の株主総会に話題を転じると、
一社は完璧なまでの運営だった。非の付け所もないが、事務局のご苦労たるやいかばかりだろうと。「やりすぎ」でないかとさえ思うが、IPOを目指す以上、それだけの高潔な姿勢は尊ぶべきものだ。
もう一社はそれと比べるとラフだ。ちょっと極端。ゆえに一事が万事で業績も優れない。まだ全然投資としてはデフォルトでないが、深く反省させられる投資案件になってしまった。この振り返りも時候になったらしたいと思う。
最近、日経、私の履歴書の宮城まり子さんの連載が面白い。
まり子さんは自分の思いだけで、障害者のためのねむの木学園を始める。その時、作家で愛人だった吉行淳之介さんは、「途中でやめないこと」などの3つの条件を出すだけで応援したという。一般の人はすぐに「儲かるの?」「採算は?」と下世話なことばかり考えてしまうけど、そうした不安・課題を信念で打ち破ったまり子さんも、それを傍で見ていて口にしなかった淳之介さんも素晴らしい。最後は面倒を見る覚悟?自信?があったのか、薄っぺらな言葉は要らないと腹が据わっていたのか。
世の中、相変わらずお金だけ。自分も会社もそんな感じ。高潔な理想も確固たる信念もなく、普遍的な価値観である金銭尺度に浸っている。
日々、かなり反省と幻滅。。。