そろそろ書かないと賞味期限切れになる脅迫観念に駆られ・・・。
さる8月30日に、北とぴあでビジネスプランコンテストinジャパンの最終審査発表会が行われた。
すでに6回目を数える。
ビジネスプランコンテストは日本全国有象無象あるが、まだまだとは言え第6回、6年継続していることは価値のあることだろう。それも民間、ボランティアでの運営であるから特筆されるべきであろう。少し辛口を言えば高名な大前研一さんの大前アソが主催していた同様の催事もいつのまにか無くなった。税金を投じて各県が主催するものはあるが、あまりパッとしない。かく言う私も昨年までは高知県の同種の県外郭団体主催のコンテストの委員などをしていたが、担当者の意気込みは立派だが、費用対効果を考えると残念ながら疑問である。どうせやるならもっと予算をつけて大々的にアピールして実施すると違うだろうが。
さて、話を戻してビジネスプランコンテストinジャパンである。
これはNPO団体である日本MITエンタープライズフォーラム が主催団体で、私も最近は幽霊理事を務めている。
別段、MITのOBでも何でもないし、起業家を支援・指導するほどの立派な立場でないから、NPO理事です!と胸をはって言うつもりはないが、行きがかり上、またたまたまNPO申請をしたりその他事務作業をした関係もあり、理事を今はしている。そろそろクビでしょうが。NPO申請は最近とんと御無沙汰だが当時の事務局をしていた深澤恵美さんと二人でした。当時、コーディネイト事業もしていたから結構大変だった。ちなみに今も事務局(丹下さん)はたいへんで、コンテスト最終審査会前日は徹夜だったとか。
なかなか本題にいけないが、もう少し寄り道。
そもそも日本MITエンタープライズフォーラムでビジネスプランコンテストinジャパンをやろうというのは、先代理事長の綾尾さんの発案というか執念だった。それで三菱総研を訪ねてこられて、ベンチャーを担当していた私が対応させてもらったのがことの始まり。そもそも2:ビジネスプランコンテストの走りというか、正確にはオリジンではないかも知れないが、ビジネスプランコンテストを世に普及させたのは米国本家のMITの50Kコンテスト だ。ここではMITの学生チームが起業プランを策定し、それにメンターと呼ばれる地元のアントレプレナーというか起業成功者の先輩らが助言するしくみで、コンテストに優勝すると確か50K(今はもっと高騰しているらしいが)の賞金が与えられるというもの。もっと面白いのが、そこからはAKAMAIをはじめとする成功ベンチャーが続出していて、さらに私的に面白いのが、成功したベンチャーはコンテストではファイナリストであっても、優勝者でないことだ。
それもあって、ビジネスプランコンテストinジャパンでは、最後の発表をする8組をファイナリストと呼び賞賛することにしている。ちなみにこれは誰も言ってくれないが、私の発案だ。これはNPO申請を通したよりも、功績だと自負している。
昨年はメンターチェアをしていたが、合宿で酔いつぶれたこともあってかクビになったので、メンターとして参加した。
今年担当したのは慶応SFCの学生であるクマール君の『寄附トレースシステム』。学生のアイデアレベルだったこともあり、ビジネスプランとしては振れ幅がどうしても大きく、かつクマール君が別企画で参画したインターンが忙しくて、大分と苦労/ヤキモキした。結果的には提案の社会的意義とおそらくデモムービーがアピールしたのだろう、当日のクマール君のスニーカの減点(↓足元注目)を超えて『優秀賞』に輝いた。メンター的にはしてやったり!でもある。
正直、VCの目からすると実現性に「?」とするプランであるが、優秀な学生がこういうものにチャレンジするマインドを持つようになったことは大変嬉しい。またクマール君と話していて、若者の感性・嗜好等々教えられることも多々あった。これから難関だらけだろうが(でなければ甘い罠に陥っていると自覚すべき!)頑張って欲しい。
今回のそうであるが、毎回応募者のレベルはあがっている。その原因を僕としてはまだまだ掴みきっていないが、---僕としてはいつまでこの活動に関与する余裕があるか?であるが、何しろまだまだ自分が成功途上にある修行中の身で、後進の指導とかができる立場でも余裕もないから、---ますますこうした活動が世の中に定着して、日本を変える原動力になって欲しい。
辛口コメントを言えば、ここでも6回を数えてまだIPO準備に至ったところすらない。VC投資を得たところも数社(あるだけでもスゴイ!とも言えるが)である。コンテストを起爆剤とするロードマップが描ききれていない、ボランティア集団が主催するためにパワー不足というかインセンティブ不足が否めないところが課題だ。