厳寒の日曜座禅会、中国語に訳された仏教教典 | 野菜づくり 市民農園の人たち

野菜づくり 市民農園の人たち

市民農園の様子です

今日の境内

門の前の蓮池

蓮の鉢 凍って車のカギが乗っかりました

鉢の中の真ん中は寒さで根が傷まないそうですが、鉢の壁に近い根は傷むので

植え替えの時には使えないそうです

池のハス

柘植の葉も表面が凍って白くなっていました

 

今日の参禅会には6人位の子供も新たに参加していました

小さい時の体験は大切です

参禅後の老師のお話

初めての参加者の質問

「どうすれば集中できますか」

老師「日頃の生活を正しくすることです」

質問「座禅は何のためにするのですか」

老師「座って心静かに、何のために生きるのか、

自分は何なのか考えることです。

立ち止まるということは次に動くことを意味している。

座るというのは、厳粛な心のありようを考えることです。

落語家が言っていた。

椅子に座っている人を笑わせるのは難しい。立っている人はもっと難しい。

一番笑い話を聞いてくれるのは、升席などにドーンと腰を下ろしている人は

自由自在に泣き笑いできる。

座るということは集中するためにはいいことです。」

「林原が以前、アフリカに発掘に行っていた時のこと、

現地人を雇ってキャラバンを組んで進んでいた。

天候が変ると仕事にならないし、危なくもあるので急がした。2日は進んでくれたが

3日目は止まってしまった。賃金を上げても動こうとしない。

なぜか問うと、「心が付いて来ていない」と返答された。」

現地人は感じていた。心が亡びると書いて「忙しい」になる。忙しすぎてはいけない。」

「座るときはお尻に力を入れないといけませんね!?」

「お尻から気が抜けていく。お尻を締めれば集中力も高まる。

お尻を締めて、お尻からお腹を持ち上げるようにすると良い姿勢にもなります」

質問「洲云無 はどう読むのですか?」

老子「(趙)洲云う無 犬のような落ち着かない、ごみ箱をあさる様な私にも仏性があるのですか?

趙洲和尚は無と答えました。無は入れ物空洞である。有があるのは無があるから

無とは奥深い意味を持っている。壺は空間があるから価値がある」

質問「仏教と老子荘子の教えの違いは」

「仏教はインドで生まれ、水平(平等)の考え、中国の思想は親に忠など上下の思想。

仏教はインドの言葉で書かれている。中国に来た時には、中国語に翻訳しなければならなかった。

どうしても訳せない言葉はそのままの音を漢字に置き換えるだけの作業が行われた。

ヤーテーヤーテーなど

禅も当て字。もともと「静かに考える」の意味。

インドの言葉は、リアーナという。坐を加えて座禅としリアーナを表した。

膨大な量の仏教経典を訳すのは、国家の経済力が必要だが、

上下思想の中国に水平思想の仏教思想は危険思想

そのまま訳すのは為政者にとって不都合だった。

それもあって、中国流の仏教が出来上がった。

鎖国状態のチベットに伝わった仏教が本来の仏教の教えに近いものだった。

今は中国の影響が強いので変わっているかもしれないが。

元々のインドではヒンドゥー教やイスラム教の影響を受けて変わったものになっている。

仏教は伝わった地域で同化しているが、ミックスしては意味がない。

宗教の違いを知ることが大切。自分流に解釈すると本質を失う。」

老師「そろそろハスの世話をする時期ですか」

世話をしている参禅者

「蓮の世話のほうが座禅より良いです。

曹源寺でも昔、大賀ハスなどハスを作られていたようですね」

老師「以前栽培しましたが枯らしてしまいました」

世話をしている参禅者

「カメが近所の池から歩いて来て

ハスを食べています。ザリガニを取るカニ篭に40cmくらいの大きな亀が入っていました」

今はオフのハスですが、世話をされている方への配慮を欠かされない

老師の心遣いが感じられました