知人に、同居で認知症の義母の介護をしている人がいるのだけれど、
私と違って家はいつもきれいにしているし、
道路沿いの家なので塀沿いに花を植えたり きれいに草取りもして、傍目で見てもよくやっている。
実際介護をした人なら分かると思うが、出来ることが増えていくのが楽しみな子育てと違い、できないことが増えていく介護は一層気分が落ち込む上に、個が確立した人間を扱うので滅茶苦茶気を使う。
お嫁さんなら尚更であるが、滅多に愚痴を言わない彼女が珍しく愚痴をこぼした。
内容は省くが、おばあちゃんにはちょっと困る奇行があり それだけでも困るのに、トイレに間に合わない事も増えてきた。頻繁にトイレに誘うがなかなか応じず居間で座位のまま大もしてしまう事が多くなったと。
父も母もそうだったが、自分が生きていることが精一杯になると、急激に他に目が行かなく興味もなくなる段階があり同時に衛生観念なども失われていったので、そういう時期なのかも知れない。人に対する「心遣い」というものも徐々に失くしていくので、後始末のことまで考慮できないとも思われる。
その彼女の嫁ぎ先には、結婚して外に出たお義姉さんがいるのだが、たまに来ても自分の子供や孫の写真を見せるのに一生懸命。
普通に会話はできるが 、認知症も進みどれが子どもかどれが孫か分からなくなっている状態なので 一生懸命娘の話を聞こうとするおばあちゃんは疲労困憊し、帰った後は寝込んでしまう事もあるという。
「おばあちゃんは孫の顔を見るのが楽しみなはず」という何年も前の思考のまま、年老いた母の心や体に大きな変化が起きている事は、残念ながら介護に関わっていないので考慮されない。
お嫁さんがおばあちゃんの奇行や下の世話の話しや、やんわり、もう分からないので「孫の話しは喜ばない」と示唆しても、介護外野あるあるで「そんなことはない、喜んでいた」と、次回も写真や動画を携えてやってくる。
介護って、月に一回程度30分ほど世間話しに来る事じゃなくて、24時間365日人間の体も心も預かる訳だけど、短時間の会話だけだとどうしてもこのような齟齬が生まれる。
晩年の父も孫・ひ孫達が帰ったあとは必ず「何しに来たんだ!?」と怒っていたが、良かれと思って顔を見せに来てもジジイの心には響かないどころか、邪悪なことばかり思いつく父の脳をなだめる作業が増えるだけだった。
温和な母でさえ亡くなる2~3年前には、ひ孫たちが来ると離れた縁側で新聞を読んだり外を見たりこちらを覗いたり落ち着かない。父と違って怒りはしないがやはり帰ったあとに「何しに来たの?」と聞くようになった。多分ひ孫だというのは分かっているのだと思うが、距離感を忘れてしまっているので、どのような呼びかけや話しをすれば良いのかが分からなくて困惑しているのだと思う。ただ、こればかりはどちらにも全く悪意がないので解決策を見つけるのは本当に難しい。
そんなわけで、その彼女とは「3日でいいから朝から晩まで預かると分かるんだろうけどねぇ」大体このセリフで話しが終わる。