と言ってもガチ勝負で馬券を買う為でなく、ネコパンチ君の応援馬券として買いました。
勿論当たって欲しいけど、格上の馬を相手にいい活躍をして欲しいです。
まだ天皇賞のショックが残ってるから、ガチ勝負するのはJCからかなぁ。
とにかく今日は
頑張れネコパンチ!
1985年10月26日。
26年前の今日、日本サッカー界にとって歴史に残る試合があった。
メキシコ・ワールドカップ アジア東地区最終予選 日本 vs 韓国
日本代表はこの予選で北朝鮮、シンガポール、香港と戦い、なんとか最終予選まで勝ち上がってきた。
そして、永遠の宿敵・韓国とワールドカップの出場権を賭けて戦うところまでにきた。
もし韓国に勝てば、日本は初めてワールドカップに出場することになる。
そう思うだけでワシはテンションが上がりっ放しになり、試合の1週間以上前から『お正月』の替え歌を歌って試合当日を待っていた。
テレビ中継が始まると、なんとスタンドで無数の日章旗の小旗が打ち振られている映像がテレビから流れていた。
今では信じられないだろうが、それまでの日本代表の試合でスタンドで上記の光景があるなんて考えられない時代だった。ちなみに国立競技場で北朝鮮と試合をしたときは、まるでアウェーじゃないかと見間違うくらい在日コリアンがたくさん集まり、北朝鮮を応援していた。
だから、その映像を見ただけでワシはムチャクチャ興奮した。
そのテレビ中継の冒頭の言葉でNHKの山本浩アナウンサーが
「東京・千駄ヶ谷の曇り空の向こうにメキシコの青い空が近づいているように気がします。」
と言った。
その時ワシは中学3年生だったので、今では信じられないくらい純粋だった。だから上記の言葉を聞いたときテンションがメッチャ高くなって、思わず
「頼むぞ!」
と吠えてしまった。
試合が始まり、前半の20分くらいまでは日本が試合を優勢に進めていた(実はこれが韓国の作戦であったのだが)。だが、その後は韓国が攻めるようになり、32分、チョン・ヨンファンのミドルシュートが決まり韓国が先制した。
日本は追いつくために攻めるがその裏をかかれてカウンターアタックをくらい、42分にイ・テホに2点目を決められた。
沈黙する日本のサポーター。喜ぶ韓国サポーター。
だがその1分後、日本は敵のペナルティーエリア近くで直接FKのチャンスを得る。
キッカーは背番号10 木村和司。現在、マリノスの監督をしている人物だ。
日本のサポーターの誰もが思っていた。
「決めてくれ! 1点返してくれ!」
そして木村和司が右足を振り抜き、その弾道はまるで繭から糸をスーッと引くような形で韓国ゴールに吸い込まれていった。
日本 1 - 2 韓国
前半は数プレーして終わった。
後半は、日本が必死になって攻めるが、韓国は老獪な守備で日本の攻撃を封じ、時折鋭いカウンターアタックをする。そんな展開で試合が進み、結局、上記のスコアで試合が終わった。
点数差こそ1点だったが、内容はそれ以上の差があった試合でなおかつ韓国との実力差をまざまざと見せつけたられたモノだった。
その8日後の11月3日にソウル・蚕室スタジアムでリターンマッチを行ったが、結果は0-1で負けた。韓国が1954年スイス大会以来の本選出場権を得た。
ワシはその時、生まれて初めて自分のこと以外で悔し泣きをした。
その後日本は、”ドーハの悲劇”や”ジョホールバルの歓喜”、そして2002年に韓国と共催(個人的には”分催”だとおもっているが)という形ではあったものの自国でワールドカップを開催し、ベスト16に進出するまでになった。昨年のワールドカップでは日本以外の土地で初めてベスト16に進出した。
26年前には考えられないほど日本のサッカーは進歩した。それを思うとメッチャ感慨にふけってしまうが、あの時から変わったこと、変わってないこと、日本サッカーの発展のために自分に何ができることはないなどを考えなくてはと思う。
ワシのサッカーつながりの知り合いに日本のサッカーをボロクソけなす輩がいる。彼らの言葉には一理あるのはわかるが、ワシは心の底では彼らの言葉に同意はできない。
何故ならワシは、日本が海外の一流国と対等に戦えるように(ワールドカップで超ガチンコ勝負をやって勝てるようになるくらい)なって欲しいと思うからだ。
それこそ、26年前はワールドカップに出場することが夢だったのが、今ではそれが当たり前になってる。
ワシの希望が叶うようになるにはメッチャ時間がかかるし、その歩みはカタツムリの歩みくらいになるかもしれないが、諦めないでその気持ちはずっと持ち続けていたい。何事もそうだが、原点を忘れてはいけないとも思う。
1985年10月26日
ワシは認知症になってもその日のことは忘れんぞ!