動画は、クリスティアン・シンディングが1896年に作曲したピアノ曲。『春のささやき』作品32-3です。変ニ長調と近親調の変ロ短調の間を行き交う小品で、「アジタート(激して)」の発想記号を持ち、ほとんどの部分を右手の急速なアルベジョと、左手の旋律の組み合わせで出来ている。譜面は、たいてい急速で単純な分散和音のパッセージからなっており、技巧的に要求の高い箇所もあるものの、ほとんどの部分が見た目よりも演奏し易い。曲名は、絶え間ない動きの感じが、春先のわくわくそわそわした感覚を表象していることを示している。wikipediaより。

80歳のオバアが行ったことない場所へ行きたがりました。自身も京都府にありながら、一度も行ったことない場所へ行きました。それは和束町です。電車はありません。辛うじて、加茂駅から一時間に一本バスが出ている程度です。見るものと言えば、茶畑だけです。自身が気になっていたのが、鷲峰山金胎寺でして、標高682メートルにある寺が気になりました。

令和の今では、宇治田原から和束町をつなぐ、犬打峠トンネルが工事中です。山城大橋東詰めから宇治田原方面、国道307号線に向かうと、和束町方面の看板があります。ただ、大型車離合不能なんて書かれていて、理由は分かりませんでした。理由は分かりました。この工事中のトンネルを越えると、軽自動車一台分の道幅の峠道でして、対向車が来たら、一撃で終わる狭さでした。奈良大仏殿から~浄瑠璃寺~岩船寺への道を彷彿させる。よって、引っ越しの場合は、泉大橋東詰めから国道163号線を笠置トンネルへ向かって、途中、和束町方面に左折する意味がようやく分かりました。しばらく進むと、金胎寺への看板がありました。

和束町で唯一のええ景色が茶畑です。これ以外は見るものが無かったのが実情でして、ブログもお蔵入りしようかと思ったくらいです。

金胎寺(こんたいじ)は、京都府相楽郡和束町原山にある真言宗醍醐派の寺院。山号は鷲峰山(じゅぶせん、じゅうぶさん)。本尊は弥勒菩薩。開基は役小角(役行者)と伝えるが詳細は不明である。大和(奈良県)の大峯山に対し「北大峯」と称された、山岳信仰の霊地であり、山内には現在も奇岩怪石が連なる行場(ぎょうば)がある。中世の記録である『興福寺官務牒疏』(嘉吉元年・1441年)によると、金胎寺は天武天皇の白鳳4年(675年)、役小角(役行者)の草創で、天武天皇白鳳4年(675年)9月、役小角(役行者)によって開かれたといわれる。養老6年(722年)、泰澄が再興。平城京の鬼門封じとして、聖武天皇によって堂が建立され勅願寺となる。さらに大同2年(807年)には興福寺の願安が再興したとするが、創建者を役行者とするのは山岳寺院の草創縁起にしばしば見られるもので、伝承の域を出ない。wikipediaより。

ここまで来るのに10分程度の坂があった。80歳のオバアはくたばったので、車のキーを渡して待つように言った。実は、周辺の様子を見て引き返した。理由は、ここまで来るのに、道に倒木が転がっていて、誰一人通っていない形跡だった。観光客は誰一人居ない。受付も誰一人居ない。境内は掃除が行き届いていない。なのに三百円要求する。よって、有料エリアの本堂と、多宝塔と行場近くまで行って引き返した。

汚れた看板があったので、これを撮影した。80歳のオバアが待っているので、そそくさと戻った。感想を言えば、ここへ行くくらいなら、加茂町の岩船寺の方が良い。同じくらい道も狭いが、まだ人が通った形跡がある。受付に人が居る。本堂でも住職がお経を唱えている。清掃も行き届いている。多宝塔も綺麗。特に紫陽花と紅葉の季節が良いと言ったくらいです。

唯一、和束町で良かったのが、山藤が咲いていたくらいです。

恋志谷神社(こいしだにじんじゃ)は、京都府南山城村に鎮座する神社である。祭神の恋志谷姫は後醍醐天皇の后であり、元弘の乱の折、古森と称する地に崩御され、同地にて、祭祀されていたことが、当神社の起こりである。これは、境内にある大正6年造立の碑によると、恋志谷姫は後醍醐天皇の寵妃で、伊勢での療養から笠置へ戻ったところ、後醍醐天皇が元弘の乱により行方不明で会うことができず、悲しみのため病が重くなり、この地で自害したことを後の人が哀れんで祀ったとされる。この縁起から、本神社には病気を除く神としての信仰や恋を叶えるという信仰がある。

恋志谷神社は恋愛成就に有効のお守りがあるなんて言われているが、令和の今では、結婚には金金金となっていて、えげつないことになっている。35歳の女性が結婚に焦って、結婚相談所に登録する。理想は星野源似の男性。学歴は関関同立かG-MARCH以上。旧帝国国立大学Saランクなら申し分ない。東証一部上場企業で年収600万円以上か、国家地方公務員の男性希望。そこで、年収400万円の男性がお見合いをすると、「その年収で生活していけるのですか?私は専業主婦希望です。」これで年収400万円の男性が機嫌を損ねて結婚相談所を退会する。逆に女性のプロフを見ると、家事手伝い、実際はカレーしか作れない。趣味はカフェ巡り。好きなペットはトイプードル。プロフ写真は20歳後半だが、実物を見て写真加工アプリでの写真詐欺。男性はがっかりする。また、両親が亡くなって、年金を当てにできなくなって途端に婚活を始める無職40歳女性も居る。その結果がこの動画になっている。その被害に遭っているのが相席屋とオリエンタルラウンジ。アラフォー女性がタダ飯目的で来る。女子会と称して来る。男性がええ女目的で来るが、女はずっと飯食っているか、スマホで遊んでいるかのどちらか。会話に応答しなくて、「うんうん。」としか言わない。よって、一時間四千円支払った男性がたくさん居たのか、結果が、女37人、男0人となりますな!まあ、逆に年収600万円の男は、25歳~35歳までの女性で、正社員として働いていること。太っていなくて、ガリガリでなくて、暗くなくて、冷たくなくて、明るくて愛嬌のある女性を求めますな!自身もお見合いしたことあったが、ある新興宗教の婦人部長をしていて、宗教からみで喧嘩になるの予想して駄目になったケースもありますな!

今80歳のオバアが新婚時代に住んでいた家を見ました。オバアネタだが、一軒家を建てる資金があったのだが、くたばったオジイがこの近くに住みたがった。それを80歳のオバアが極端に嫌がって、少なくとも、「近鉄電車か京阪電車、阪急沿線でないと嫌。」と言って、交通の便の良い場所へ引っ越ししました。 

南山城村は、コンビニが一件もありません。大河原駅は無人駅です。昭和時代の国鉄時代には、駅長と駅員四人居て、人件費がかかっていました。南山城村役場の前に、コンサートホールがあってクラシックが演奏されていたが、地元にはジイサンバアサンばかりで合わなかったと思われる。せめて昭和歌謡曲だな!小さな道の駅があったが、JR月ヶ瀬口駅近くの道の駅が盛況でして、こちらに人が集まっている。大河原小学校が廃校になって、この近くに南山城小学校が建築される。高校は木津高校となる。オツムはあまりよろしくない。月ヶ瀬ニュータウンでは、一千万円もあればええ家が買える。北大河原でも400万円出せば、中古の家も買える。ただ、台風シーズンに崖崩れが発生して、その度に金がかかる。崩れた個所の修理に二百万円とか。JRは加茂駅~亀山駅でして、一時間に一本になる。よって、難波へ通勤する人は、加茂駅周辺に月極駐車場を借りて、車で加茂駅に来て難波へ行く。と言うのは、よく関西線は、台風の度に運行休止になるからです。

道の駅 みなみやましろ村へ行った。メダカ四千円でした。270円の笠置炭酸サイダーを飲んだ。旧有市村で発見されたとのことだが、どうも製造は、有馬サイダーを作っている会社だった。原料だけ笠置の炭酸水と言う始末ですな!地元の村人は、道の駅で買い物をしない。車で木津川市のアルプラザ山田川店へ行くか、伊賀上野市へのスーパーかのどちらかです。バブル期にあった話しなのだが、南山城村北部に童仙房と言う地区がある。よりによってそこに、関西の軽井沢と称して、ログハウスの別荘が乱立したことがあった。当時は三千万円近くした。ただ、大河原駅から徒歩一時間近くと、交通の便が悪くて、派出所も無くなった。ついこないだだが、旧大河原小学校、今南山城村第三グランド近くで、三百万円程度でええ家が売っていたが見送った。理由は使い道が無いからです。伊賀上野に職場があるなら即買いなのだがな!南山城村に近鉄が通っていて、病院もあって、スーパーもあれば住むにはええ村なのだがな!今80歳のオバアが、駅まで徒歩一時間近くかかって通勤していたなんて信じられない話しを聞いた今日この頃ですな!