動画はスペインの作曲家である「マヌエル・デ・ファリャ」作曲。『三角帽子』(さんかくぼうし、原題:El sombrero de tres picos)第一組曲の三番目の代官の踊りです。この曲が好きなので、つい掲載しました。

本来なら、12月中旬に訪問したので、この時に執筆すべきだった内容でした。だが、12月中旬に、京都家庭裁判所の調停のために、裁判所提出の書類作成のために、すっかり忘れていて、三か月後の今、つい思い出しました。忘れぬうちに執筆します。

ここは賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)を祭神とする下鴨神社です。河合神社には玉依姫命(たまよりひめのみこと)が存在します。女性の守護神としての信仰を集めています。手鏡の形をした絵馬に、綺麗になりたいなどの願いを託すようです。自身は、この近くの神域に居るのを好みます。

理由は糺(ただす)の森です。下鴨神社の本殿は建物ばかりが豪華で、拝む気になれないが、ここは天空からのパワースポットとなっています。理由は森があるからです。神霊の存在する神社と言うのは、神山や、湖、川が存在します。逆に、コンクリートで覆われて、周囲がラブホだらけの縁切り神社は、神霊のパイプが皆無に等しいです。下鴨神社内の河合神社近くの糺の森があるので、辛うじて下鴨神社は神域を保っています。体験すれば分かります。

下鴨神社に関係する祭神と言えば、玉依姫です。玉依日売(たまよりひめ)は、山城国風土記の表記である。姉が豊玉姫でして、海神(わたかみ)の娘である。豊玉姫は、出産の時に、ワニの姿となっていた。それを夫である火遠理(ほおり)命に姿を見られて、恥じて綿津見(わたつみ)国に帰ってしまった。豊玉姫から、御子の養育を託されて、玉依姫が育てていた。後に、その子鵜賀葺草葺が成人して、玉依姫と結婚して、四柱の子が誕生する。その子孫が神武天皇とされる。賀茂神社縁起の玉依日売は、姫が川遊びをしていると、丹塗(にぬ)りの矢が流れて来たので、それを持ち帰り、床辺に挿しておくと、姫は妊娠して、賀茂別雷(かものわけいかづち)命を産む。火雷神が丹塗の矢となって流れて来たのである。玉依姫とは、特定の神を指すのではなくて、普遍的な意味を持つ名称である。玉は霊(たま)、神霊を意味して、依は憑依を意味する。よって、神霊が憑依する巫女と私は考えますな!

東本殿と西本殿は、建物が豪華なだけで、祝詞を唱える気にもならない。自身はこの場所は好みません。

ただ、自身が好む場所が、井上社である。御手洗社とも言う。瀬織津姫(せおりつひめ)が祭神と書かれているが、自身は水龍神だと思われる。真正の瀬織津姫は、鳴門の渦潮に存在するような話しを出口王仁三郎氏の書記にあった気がする。葵祭では、斎王代の禊の儀が行われるが、自身は、その理由を納得する次第である。特に、七月の中旬~下旬にここに来ると、清々しい気分になった思い出があります。

京都では、下鴨神社が紅葉を12月でも見れます。鯖寿司があったが、値段が千円ちょっとした。イズミヤの半額のサバを知っているので、見送りました。

79歳のオバアは出町柳商店街が、昭和を醸し出す雰囲気なので、好んで通るが、アーケードが短い。京都では、東山区古川町商店街か、伏見区の大手筋商店街も好んでいる。錦商店街は高いので遠慮しますな!

遺産分割協議を担当している弁護士から聞いた話しなのだが、学生時代に、授業(※京都大学にて)が終わって、ロッテリアでハンバーガーを購入する。天気が良いので鴨川の畔でバーガーを食べようとした。そうすると、後ろから急降下したトンビが手に持っていたハンバーガーを横取りされた。バーガーは上空のトンビが持っていたそうです。これでトラウマになって、鴨川で食べ物を食べなくなったそうですな!鴨川のトンビは恐ろしいですわ!忘れぬ内にブログです。遺産争いは、泥沼化して一年経過しましたな!"(-""-)"