豊後街道をゆくの話その3 | 航海する敷き詰め草

豊後街道をゆくの話その3
















どうも。



今回写真に説明文を入れて行程を語ってないんですけど、他の場所で同じような事をやったので、もう一度書く気持ちが湧かずやってません。



とにかくハードで、一枚目の写真は木陰ですが、そのちょっと手前の木陰無しの炎天下って場所がありました。

そこで足がつって、身動き取れなくなったんですね。

……これはヤバイなって。



動きたくても動けなくて、太陽に焼き殺されるかと思いました。



バイクで出来る少しの影に身を潜め、身体を復活させました。

移動して、豊後街道と現在の道(ミルクロード)の間にある道路公園にて休んだ。

それでも、ずっとあちこちつってました。



リタイアも考えたけど、持ちこたえた。



藪に沈んだ街道。

引き返して、迂回ルートを取る時にパンク。

修理済ませ、身体の具合と日没迄に二重(ふたえの)峠を越えれないと判断を下す。



苦労して上って来た道を、また引き返しました。



どれくらい下ったろうか?

5~6kmかな?それ以上か?

それぐらい下らねば、お風呂のある温泉施設が無かった。



気力を振り絞っての設営、そしてお風呂で身体をマッサージしたりして整える。



阿蘇の高原で夜営する予定だったから、テントの中はまだ涼しくなくて、化繊の寝袋は枕にしかならなかった。

何でこんなことやってるんだろ?

でも、やっぱり始めると完走を目指してしまう。



何か、最初にやった長崎街道がベースになってんのかなって。



自らに困難を与えてるみたいな気もするな。

イレギュラーやアクシデントをクリアしてゆく自分を楽しんでる。

多分だけど、自分自身と戦ってるんだろう。



テントの中で横になっても時折つって寝付けず、結局そのまま夜が明けぬうちに撤収作業してヒルクライム。



アタックポイントは二重峠。



そこまで上る間にある下り坂は、ほんの僅か二ヶ所あるのみ。

何度も倒れ込んで休み、そして再度アタック。

自転車と荷物の総重量は30kgちょっと。



なんでこんなことやってる?



でも、辛いとか思わなかったし、むしろ楽しかった。

目指す目標があったから。

そして何より、自分で選んだ事だから。



夜営地点から二重峠までの距離は7km。



その間に獲得する標高は500mありました。



航【2ORIGINAL】