いろいろなニュースをにるたびに
【理性はどうなってるんだ】
とか
【人として】
とかって言葉を聞きます。
確かに、理性や知性は人を人とたらしめているもの。
知性や理性があるから、本来人は人を殺めないっていうけど
それね、わたしは違うと思うの。
知性と理性は大切。
だってわたしたち人間にしかないので。
でも、わんちゃんとかねこちゃんって
殺し合いする??
道端で、不必要な喧嘩あしてる?
ジャングルの野生動物でも、不必要な喧嘩はしないですよね。
お腹がすいたとき、縄張りをあらされたとき、
喧嘩するときって、ちゃんと理由があるでしょ?
でも、最近の人間ってどうよ。本来理性的であらねばならない人間が
わけのわからない殺人を犯す。
それがどんどん低年齢化でいている。
幼児教育の欠落!!!
もっと、こどものうちから教育を
ってこれがちがうんだよ!っと思うんです
むしろ、早期教育なんかすんな!!
外で遊べ、ちいさいけがをしろって思う。
そんなこといってたら昔に比べたら、
ぜんぜん、今のほうが幼児教育発展してるわ。
じゃあなぜ?
の問いに
バーバラは
本能の欠落、理性の暴走と仮説しました。
簡単な脳の構造をお話すると
人の脳には、大脳新皮質と大脳辺縁系とそして、
生きるための機能調整をする視床や視床下部って
場所があります。
この大脳新皮質は理性や知性
そして大脳辺縁系は本能や情動
っていうのは、脳の仕組みをお勉強されたかたはもちろん
アロマテラピーを少し学んだかたでもご存じだとおもうのね。
この、理性と知性の脳と本能と情動をつかさどる脳
この関係性が。今の時代の状態をあらわしている。。。
とおもうのです。
そもそもこの理性や知性は生まれながらにあるのではなくて
ほら、こどもって本能しかないでしょ?
この本能と情動が記憶に結びついて、その人なりの知性と理性の
脳になるわけなんです。。
知性と理性は、後!なんです。
これ、ちょっと勉強した人は、いやわたしなんかより
偉い人のほうがもっとしってるとおもうよ。
でも
なぜ、そこをいわないかな?
知性ばっかりつけてもだめなんだって!!
例えば、ストーブ。
昔はファンヒーターなんかなかったから、石油ストーブとか
とにかく、そこで火がもえているのが
わかるストーブだったでしょ?
火って、あついよーーー、あついよーーーって
なんの体感もないのに
いわれてもわからない。
ほんとにあつい!っとおもうから、素早くそれは危険だと判断
されるのです。
やけどしなくて、そばにいくと熱い。
(これ、まじあついな)って体感として感じる
そして、それが
本能の脳で熱い!と記憶され
それが、たとえば
冬毎日それをみているうちに
長期記憶として理性の脳に組み込まれ
そしてその人の知性と理性のもとになる。
火はあぶないとりあつかいに注意しよう!!になるの。
でも、これ残念ながら、火をみてそだたないと
その熱いのレベルがわかんないんですよ。
そしてその記憶のストックに役立つのが、
嗅覚なんです。
しらないと
なに、マッチってなに?もえるの?
やってによう。火事おこる!みたいな。想像がはたらかない。。。。
本能の欠落、理性の暴走
それがだめとおもわない
テレビではいつも誰かがなくなっていて
ゲームではころしてもころしても生き返る。
そして血はでれど、自分の体感がないからそれがいたいともおもわない。
本能が暴走してしたいことしている!
じゃなくて
そもそも、その本能でかんじるって体験が圧倒的にすくないから
その上に成り立つ理性が欠落する。想像できない
私が小さいころってアニメですら結構こわかった。
貧困、病気、そして、人が死ぬこと、死ぬとお化けになる、妖怪の世界。
そして、わるいことをしたら、地獄におちるとおどされたこと(笑)
でも、それすらも容赦なく、理性にむずびついている。想像できる。
倫理観ともいえるかな。
そして、周りでは結構、こけてけがをしていた、
そこで【人は、けがをしたら、血がでるんだ、いたいんだ】を自他ともに体感する。
だから、そんな風になることはしたらあかんし
けがしないようにしようと思う。
今は、世の中がけがしないようになっている。
もちろん、すべての体験をしないといけないというわけではない。
でも、幼少期からの豊かな体験こそが
そのあとの理性をつかさどるとおもうのです。
ゆたかっていっても高級料理食べることじゃないよ!!!
むしろ、やばいこれくさってるってって体感だよ。むしろ必要なのは。
小学校のお子さんが、お友達が川でおぼれたのを
見殺しにしたって事件をききました。
川にはいったら死んじゃうっていう、想像力がどうしてはたらかないの?
どうして、それをこわいとおもわないの?
小さいうちから、もっと、死はこわいものっていったほうがいいんだよ。
死は悲しくて、つらいもの。
だから、そんなことはしちゃいけない。
こわいものはこわい
いやなものはいや
だめなものはだめ
いたいものはいたい
美しい
きれい
たのしい
うれしい
に全部浄化させるのではなく。
本質にあるそれがどういうことか
それをもっと知る。そんなことをもっとやるべきだと思う。
単純に山登りとかするのもいいよね
ちいさい山ででもいきるってことがわかるし、
そして、きをつけていても、なんかちいさなけがとかして痛い。
わたしは、キャンプとか山とか興味なかったけど
これを書いていて、子どもと山に登ろうとかおもいました(笑)
自分も他人もみんな生きている
その感覚をまずは持つことそれが大事なんじゃないかなって思う。
長くなっちゃったけど
そして、それに私ができることはやっぱり嗅覚。。。
ここらへんの自論はまたおっておはなしします。
でも、本能の脳に直結しているが唯一嗅覚ってこと
そこから紐解けることっていっぱいあるのです。
だから、わたしはアロマテラピーと嗅覚をひろげたいのです。
人が人としての本能を呼び覚ます。
それがわたしは大事なんじゃないかなって思います。