手作りコスメとアロマとビジュアルセッションのバーバラです。
昨日は久しぶりに、実家にかえってお掃除とお墓まいりに行ってきました。
母がなくなって、まだ来月で半年。
おうちは母の面影も母がいたときのにおいもそのままで、
一人で行ったこともあり、久しぶりに号泣してきました。
まだまだ、さみしいよ。だっておかあさんなんだもん。
わたしのおうちはやっぱり、あの家なんだよね。
結婚して家をでたからといって、
たかが10年ぐらいのこの家と35年ちかく暮らした
実家だと、どっちに愛着があるかというと
わたしは実家だ。
それはしかたない。
春、夏、秋、冬、それぞれの季節の家のにおいがして、
そのにおいで季節を感じるのが好きだった。
ちゃんと、昨日も梅雨の季節のにおいがしたよ。
いつまでもそれは守ろうっとおもった。
昨日、お墓の掃除をしていてふとおもったんだけど。
蔦田さんにみつけてもらった、
『ビジュアルでその人のことを見るという』
強みが
もってうまれたものならば、
それは、やっぱり母と父が育んでくれたものじゃないのか?
っとおもった。
強みって人によっていっぱいあって、それがすべてそうとはおもわないが
わたしの場合はね、あくまでもね。
無意識化でっていうか自然の行為として(以前はね)
ビジュアルをつかったり、お人を総合的にみたり
そしてそれを無意識につかって、まわりの人と友好的に過ごす。
これって、父と母もそうだったんだよね。
父と母のビジュアルかどうかはわかんないし、思考はひとそれぞれだけれど
二人とも、もちろん違いはあるけれど
本当にどこにも嫌いな人がいないんじゃないかっていうくらい
いや、いなかったはず。
お人に恵まれた、お人に慕われた人だったの。
母は
いろんなかたから相談をうけたり、でもそれにこたえるのも
全然苦ではないようで。
常に人に恵まれ囲まれていた。
母に言ったらなんでも解決っておもわれていて
でも、それでトラブルになることはなかった。
相談にのっても母がそのトラブルにまきこまれることは
絶対なかったの。母をきらいなひとはいなかった。いなかった。
父は、
破天荒な人ではあったけれど、芸術家の卵ちゃんとか
人の才能をみつけるのが大好きな人だった。
これが似合うとか、そんなことをみつけるのが大好きだった
ほかにもいっぱいいっぱい!
そして、とにかく明るくてどこを切っても明るい、人達だった。
ほかにもいっぱいいっぱい。
それって、そのまま蔦田さんがみつけてくれたわたしの強みと合致するわけ。
今のわたしに合致するわけ。
そんな両親からうまれ、それをふつうと育ってきたわたしが
その強みを持ってるってことは、ある意味自然よね。
これはもう、父と母が育んでくれたものなわけよ。
そうだとしたら、
それは持っていてみつかった以上、しっかり磨いて使わないと父と母に失礼じゃないか!
と昨日気づいた。
まだ、自分でもどういう方向につかうか迷いもあった
ビジュアルセッション。
使ってつかってしていくうちにわかるとは思っていましたが、
腹はすわってなかった。
とにかく、ビジュアルセッションもアロマもハーブもコスメも
やはり全部相手の方が総合的に楽に前に進むためのツール
なんだよね。
わたしは、こんなだから、自分のことで悩んだこともないし、
だって、こうだからこうするって常に明確だから。
でもそれはわたし、だから。
おもった時点でそれは=うごくことなので。
でもそれはわたしにはそうできるツールがあったら、それが強みなわけだ。
そのツールをお人にもしっかり使っていこうっておもったよ。
結局、ビジュアルセッションもいままでやっていたことの延長の
あたらしいツールなわけだ。
あたらしいというか、いままでもすべてこれでやってきたわけ。
バーバラの素だわね。
こんな、わたしのビジュアルで。。。
とかおもっていたけれど、
これこそが、すべてのことにつながっている私の強みなわけだ。
どんどん使っていきます。
蔦田さん、やっと腹がすわりましたわ。
わたし、自分の強みをもっと全面でつかっていきます。
って、モニターもおおわった今かい!!!!ってつっこみたくもなるけれど、
腹が据わるというのは私には非常におおきなことなわけです。
やはり、わたしにはおとうさんとおかあさんがキーなのよ。
(うん、そうだよ、マザコンでフファザコンだよ((笑)))
昨日は久しぶりに、実家にかえってお掃除とお墓まいりに行ってきました。
母がなくなって、まだ来月で半年。
おうちは母の面影も母がいたときのにおいもそのままで、
一人で行ったこともあり、久しぶりに号泣してきました。
まだまだ、さみしいよ。だっておかあさんなんだもん。
わたしのおうちはやっぱり、あの家なんだよね。
結婚して家をでたからといって、
たかが10年ぐらいのこの家と35年ちかく暮らした
実家だと、どっちに愛着があるかというと
わたしは実家だ。
それはしかたない。
春、夏、秋、冬、それぞれの季節の家のにおいがして、
そのにおいで季節を感じるのが好きだった。
ちゃんと、昨日も梅雨の季節のにおいがしたよ。
いつまでもそれは守ろうっとおもった。
昨日、お墓の掃除をしていてふとおもったんだけど。
蔦田さんにみつけてもらった、
『ビジュアルでその人のことを見るという』
強みが
もってうまれたものならば、
それは、やっぱり母と父が育んでくれたものじゃないのか?
っとおもった。
強みって人によっていっぱいあって、それがすべてそうとはおもわないが
わたしの場合はね、あくまでもね。
無意識化でっていうか自然の行為として(以前はね)
ビジュアルをつかったり、お人を総合的にみたり
そしてそれを無意識につかって、まわりの人と友好的に過ごす。
これって、父と母もそうだったんだよね。
父と母のビジュアルかどうかはわかんないし、思考はひとそれぞれだけれど
二人とも、もちろん違いはあるけれど
本当にどこにも嫌いな人がいないんじゃないかっていうくらい
いや、いなかったはず。
お人に恵まれた、お人に慕われた人だったの。
母は
いろんなかたから相談をうけたり、でもそれにこたえるのも
全然苦ではないようで。
常に人に恵まれ囲まれていた。
母に言ったらなんでも解決っておもわれていて
でも、それでトラブルになることはなかった。
相談にのっても母がそのトラブルにまきこまれることは
絶対なかったの。母をきらいなひとはいなかった。いなかった。
父は、
破天荒な人ではあったけれど、芸術家の卵ちゃんとか
人の才能をみつけるのが大好きな人だった。
これが似合うとか、そんなことをみつけるのが大好きだった
ほかにもいっぱいいっぱい!
そして、とにかく明るくてどこを切っても明るい、人達だった。
ほかにもいっぱいいっぱい。
それって、そのまま蔦田さんがみつけてくれたわたしの強みと合致するわけ。
今のわたしに合致するわけ。
そんな両親からうまれ、それをふつうと育ってきたわたしが
その強みを持ってるってことは、ある意味自然よね。
これはもう、父と母が育んでくれたものなわけよ。
そうだとしたら、
それは持っていてみつかった以上、しっかり磨いて使わないと父と母に失礼じゃないか!
と昨日気づいた。
まだ、自分でもどういう方向につかうか迷いもあった
ビジュアルセッション。
使ってつかってしていくうちにわかるとは思っていましたが、
腹はすわってなかった。
とにかく、ビジュアルセッションもアロマもハーブもコスメも
やはり全部相手の方が総合的に楽に前に進むためのツール
なんだよね。
わたしは、こんなだから、自分のことで悩んだこともないし、
だって、こうだからこうするって常に明確だから。
でもそれはわたし、だから。
おもった時点でそれは=うごくことなので。
でもそれはわたしにはそうできるツールがあったら、それが強みなわけだ。
そのツールをお人にもしっかり使っていこうっておもったよ。
結局、ビジュアルセッションもいままでやっていたことの延長の
あたらしいツールなわけだ。
あたらしいというか、いままでもすべてこれでやってきたわけ。
バーバラの素だわね。
こんな、わたしのビジュアルで。。。
とかおもっていたけれど、
これこそが、すべてのことにつながっている私の強みなわけだ。
どんどん使っていきます。
蔦田さん、やっと腹がすわりましたわ。
わたし、自分の強みをもっと全面でつかっていきます。
って、モニターもおおわった今かい!!!!ってつっこみたくもなるけれど、
腹が据わるというのは私には非常におおきなことなわけです。
やはり、わたしにはおとうさんとおかあさんがキーなのよ。
(うん、そうだよ、マザコンでフファザコンだよ((笑)))