
入院されていると知って以来、1週間に1回、レイキヒーリングをしにお見舞いに行っていました。
初めてお見舞いに伺ったときはまだお元気で、私が手を当てると「あったかくて気持ちがいい・・・」と喜んでいただき、
翌日、ご家族の方から、私がヒーリングをしたことで、少しは容態が良くなったようだ・・・とお聞きし、少しでも楽になっていただきたい…と毎週ヒーリングをしに通っていました。
しかし・・・とうとう旅立ちの日がきてしまったようで・・・とても残念でなりません

彼女とは、十数年前・・・私が初めてインドに行ったとき
にご一緒し、その後、彼女は、当時息子さんが滞在していたアフリカ、ケニアを訪問したことから、
息子さんがやっていたケニアのスラムの方たちの生活支援のボランティアを始められ、
私もそのお手伝いをさせていただいてきました。
私は、仕事の関係で、数年前にこの活動のお手伝いは引退しましたが…彼女が始めたケニアでのボランティア活動は、その後、多くの支援者の方々に支えられNPO法人として発展しました。
私にとって、「市民活動」のイロハや様々なことを教えて下さった恩師ともいえる方でした。
最後に彼女のお見舞いに行ったときはこん睡状態で、お話しすることはできませんでしたが…付き添いをされていたご家族の方から、彼女とのエピソードをお聞きしました。
それは・・・「無意味なことの中に意味がある」…というお話でした。
彼女は、NPOのイベントの案内を送る時・・・いつもお一人お一人の住所を手書きで書いていました。
パソコンで宛名ラベルを印刷して貼れば楽に、早くできる・・・と、つい考えてしまいがちですが…
彼女は、一通一通手書きで住所を書くことにこだわりました。
昨今は、「合理的」な考え方に偏りがちな傾向があり、損得や、効率を考え、無駄なことを省き、少しでも楽に早くきれいに・・・ということが優先されます。。
合理性、損得、効率・・・を優先するがゆえに、何か大切なものを忘れてしまったのかもしれません…。
「非合理なこと」は無意味なこと・・・と見なし、意味のある合理的な考え方をすることに価値がある・・・という錯覚に陥り、
「リスク」を嫌煙し、「意味のある事」に価値を見出すことが優先される・・・。
私もいつの間にかそんな錯覚の中に取り込まれてきているような気がします。
一見、無意味で、非合理的と思われることを、丁寧に心を込めて行う事の中に、見えない気(エネルギー)が宿っており、そこに、「目には見えない大きな価値」がある ような気がします。
特に、人と人、人と物・・・が関わる時は・・・。
相手や物に対して「敬意」を払い、一つ一つの行為をいかに丁寧に心を込めて行えるか…。
それは、相手に「行為」としては伝わらないかもしれないけれど、「感覚」として伝わるモノなのかもしれません…。
それが、相手や物への「おもてなしの心」なのかもしれません。
一見無意味だと思うような小さなことを、丁寧に心を込めて行う事の先に、目に見えない何かが宿るのかもしれません…。
そして、「無意味なこと」の中に、「自分は何ができるか…?」を「考える」ことに価値があり、個人の成長があるのかもしれません…。
「匠の技」と言われるようなものも、小さなこと、小さな仕事を手を抜くことなく、丁寧にやり遂げる中に生まれるものなのでしょう…。
「無意味なことの中に意味がある」という言葉が、彼女から私への最後のメッセージのような気がしました。
日々の生活や仕事の中で、丁寧に心を込めて行う事・・・それは、私が日々実践しているレイキの学びとも通じること・・・。
忘れていた大切なことを思い出させていただいた思いがしました。
とても大切な方との別れは辛いことですが…
私もいつか光に還るまで・・・
「無意味なこと」でも、精一杯丁寧に心を込めることが出来る人に・・・私もなりたい…。
旅立たれた彼女に・・・心からご冥福をお祈りしたいと思います。
合掌