週末に行った鍾乳洞では考える時間が沢山あった。


懐中電灯が必要な洞窟の奥は滝の様になっており湿度が高い。


私は湿度が高いと上手く息が吸えない。


無理して奥に行くなと警鐘を鳴らす自分を信じたのは正しいと思われる。


何故なら濃霧の中や換気扇を点けずに入ったお風呂で息苦しくなるくらいだから洞窟では行動できない。


油断していたとしか言い様が無い。


一緒に行った人が奥に進んで行く中、懐中電灯を消して暗闇の中、独りで考えた。


結論としては多神教の考え方と一神教の考え方は独立して意味のあるものではなく。


合わせて世界そのものを表しているのではないかということ。


多神教は世界そのものの多様性、一神教は個という世界。


つまり私達が暮らすこの世界。


神のあり方でもめることはナンセンスだということだ。


どの宗教を信じるかではなく、宗教が何故存在して何故人がそれを信じ縋るのかを理解する事こそが大事なのだ。


真暗な洞窟、聞こえるのは水の流れる音だけの空間に独り。


世界の真理について考えるには最適な場所であった。