ガラス玉の欠片 |  皮肉まじりのイデオロギー              〜フェチズムでファシズムを〜 注:ブログです

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基本的にはね、そうだねぇ。
音楽、ギター、バイク、料理、性癖、悪口を綴っていきます。



俺の友達に齋藤伶っていうシンガーがいる。
なんで友達かっていうと、
去年の俺の31歳の誕生日、色んなシンガーに歌ってもらって31曲ギター弾きたいっていう俺のわがままに初対面にも関わらず二つ返事で快諾してくれた優しい男だ。

俺はこの恩を忘れてはいけないし、何か伶君の力になれることがあれば何でもやろうと思ってた。

彼はとても良い歌を歌う。
シンガーなんてほとんどが自分の事が大好きでステージ立ってる恥ずかしい奴らばっかりだ。
だが彼はどうもそうじゃないみたいだ。
きっと俺なんかには想像もできない、大きなモノの為に歌ってるんだろう。
だから心にガツンと響く歌を歌う。

「ガラス玉の欠片」という歌の話。

この曲を聴いたとき背筋が伸びた。
ふと、なんとなしに聴けば動物想いの歌だ。
でも、ただそういう上っ面の話じゃない。
もっと違う大事な何かを歌ってる曲だ。

じゃなければ俺の心に響かない。

「この曲は世に広めなきゃダメだ。俺に音を作らせてくれないか?」
力になりたいと思って言ってみたが、今思えば厚かましい限りだ。
でも彼は目を光らせて一緒にやろうと言ってくれた。

俺は動物が大好きだ。
でも優しい彼はもっと動物が好きなんだろう。
いや、命の美しさ、大切さを綺麗事じゃなく本質で胸に抱いてる。

俺は伶君と違って優しい人間じゃない。
恐らく動物に対する想い、いや、どちらかというと姿勢や考えは彼とは違うと思う。
(俺の思想を語ると長くなるし読んだ人は暗くなるだろうから、割愛させてもらう。)

真剣に話合えば、恐らく価値観や思想の違いで袂を分つことになる可能性だってある。
でも俺はこの曲の音を作りたいと思った。

それはこの曲がただ「動物を保護しましょう」的なテーマソングではないからだ。
それが本心だとしても、もしそんな稚拙な歌なら俺は鼻で笑って「良かったよ」なんつってぎこちない笑顔をこれ見よがしに見せつけると思う。

この曲が言っていることはただ一つ。
「命は何よりも綺麗で素晴らしい」
ということ。

真理でしょ。

もちろん俺も同じ想いを抱いてる。

コレが響かないヤツは屍同然よ。


俺は命は何よりも美しいと思う。

命を犠牲にして作り上げた優雅できらびやかなモノなんて悪趣味以外の何者でもない。
想像力のないまやかしの優越感なんて美的センスがない。いや、世の中の美徳に反する。


彼は多くの大きな小さな命を守りたくて歌を歌ってるんだろうと思う。
自分のためじゃない。
だから彼の歌を聴いて泣くヤツがたくさんいる。

俺はなんでギターを弾くか?
伶君と違って俺は卑屈で偏屈な人間だ。

伶君が命が好きで歌を歌うなら。
俺は人が嫌いでギターを弾く。
社会がキライでロックをやる。

話がそれたが、俺たちは二人ともこの社会の中での立ち位置を獲得するために、自分のために音楽をやってるんじゃない。

何かのために、何かを変えたくて音楽をやっている。

「ガラス玉の欠片」

この歌は大きな淀んだ何かを浄化させる力を持っているかもしれない。
そのために、この曲は産まれて今これから一人で歩こうとしている。
これは僕らのためじゃなく、世の中に必要な事です。
この曲は今の世に必要な曲です。

そんな歌なら、精魂つめて俺も音を入れたいと思った次第です。

以下、リンクです。



ガラス玉の欠片の詳細<重要>

歌詞