春の京都参拝② (月読神社) | 神々の東雲

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わたくしたちの美しい国日本の成立を、記紀や神様のはなしを中心にまとめました。

京都にツクヨミさまの神社があるということを知ったのは今年になってからでした。

 

きっかけは、ERIさんが書いておられるブログのこの記事でした。

 

「世界にたったひとつのあなただけのエネルギーと神社アート ★龍神ヒーリング★」の「京都ツアー」

 

このERIさんのブログに繋がれたのは、昨年末、伊勢に参拝に行った際に、お知り合いになれた、神力車祥平さんという方のおかげです。

鳥羽の戸田家別館で、色々とお話をお聞きし、また、わたくしも丁度その日は、外宮、内宮、月讀宮、倭姫宮、滝原宮と、わたくしのお伊勢参りお決まりコース参拝を終えた直後でしたので、色々はなしに花が咲き、 神力車祥平さんの講演も拝聴し、とても有意義な時間をもてました。

その神力車祥平さんもコラボされているツアーに興味がありましたが、丁度、弊社の年度末と重なっていたり、また、新しいビジネス展開などもしている今日このごろでしたので、東京からはたったの2時間ちょっとなのに、機会を失ってしまいました。

 

なので、この機会に、このとても興味津々なツアーと同じコースを辿ることにしました。

 

それになんといっても、月読命さまにご縁のある神社が京都にあるなんて...

その興味が大きすぎて、今回は、この行程途中にある京都でも桜の一大スポット「渡月橋」の大渋滞を横目に通り過ごしました。

 

 

ただ、なんといえばよいのでしょうか?

 

 

期待と、でも少し不安も過りました。

 

 

月読神社は、松尾大社の摂社という位置付けのようです。

松尾大社のことはあまり存じ上げませんでした(なにしろ、京都では神社ビギナーですから...)。で、聞くところによると、松尾神は「神々の酒奉行である」ことらしいです。

しかも、この日、境内から少し離れた駐車場スペースで恒例(らしいです...)の利き酒の催しが行われ、30近くの酒蔵が参加していたようです。

 

はい。普段なら、大好きな日本酒なので、そちらに脚が向いていくのでしょうが、この日はまったく違いました。

 

松尾大社に参拝をし、月読神社へ徒歩10分程度ですが、丁度、利き酒イベントの横を歩いたものの、酒の匂いで体中が気持ち悪くなってしまいました。

このわたくしが... 日本酒大好きの筆者が、吐き気すらもよおしたのです。

 

そう思っていたら、また突然、収まっていた雨が降り出し、あっというまに「木嶋神社」参拝以上の豪雨となりました。

 

こんどは傘を持っていても、その傘を持つのがやっとという豪雨!

え、これって、またまた、清められたのでしょうか。

そんなに穢れていたのか??

そして、やっとの思いで月読神社にたどりつきました。

鳥居から、神社内に入っても、一向に雨は収まる気配がありません。

なにか、お祭りでもあるのでしょうか?

運よく、テントが張ってあったのでそこで休ませていただきましたが、やはり雨はおさまりません。

仕方なく、神様には失礼でしたが、傘を差したままの参拝になりました。

所在地 京都府京都市西京区松室山添町15

主祭神 月読尊

社格等 式内社(名神大)

    松尾大社境外摂社

創 建 (紀)第23代顕宗天皇3年

本殿の様式 流造

例 祭 10月3日

 

本殿、とても立派なお社です。

 

また、興味深いものがたくさんありました。

 

 

なかでも、「御船社」がもっともきになりました。
これは、「椿大神社」に通じるものなのでしょうか??
わかりません...

 

 

ひととおり参拝を終えましたが、なにか腑に落ちませんでした。

 

お伊勢さま内宮の「月讀宮」を、毎回参拝させて頂くときに感じる爽やかさをまったく感じませんでした。

このお社も、木々に囲まれているので、豪雨でも木の下に入ってしまえば、雨も落ちてこなく、また雨音も聴こえません。

しかし、木の囁きも、風の声も聞こえません。

 

一昨年、伊勢の月讀宮で、新たな自分の取り組む方向性を示されました。

以来、月讀宮、滝原宮では毎回、新しい閃きを頂いております。

 

しかし、ここは違いました。

 

でも、わかりました。

神門と呼ばれている、門を出た瞬間に豪雨は収まりました。

それでよくわかりました。

わたくしはあまりこちらには歓迎されていなかったようです。

さらに、その理由は、ここに来たときは豪雨で傘を差していたので気づかなかった、この神社の説明で、よく理解できました。

 

こういうことのようです。

 

 

一般にツクヨミ(月読尊)さまは、記紀の神話においてアマテラス(天照大神)の兄弟神として知られていますが、月読神社祭神の神格はその記紀神話とは別の伝承で伝えられた月神であると考えられています。

『日本書紀』顕宗天皇3年2月条における月読神社の創建伝承では、高皇産霊(タカミムスビ)を祖とする「月神」は壱岐県主(いきのあがたぬし)に奉斎されたとあります。

また『先代旧事本紀』では、「天月神命」の神名で壱岐県主祖とあります。

これらから、当社祭神の神格は海人の壱岐氏(いきうじ)によって祀られた月神(海の干満を司る神)と推定されます。

 

また別の神格として、壱岐氏が卜部を輩出したことから亀卜の神とする説もあります。

 

関連して、『日本書紀』顕宗天皇3年4月条では対馬下県直が奉斎した「日神」の記載がありますが、こちらもまたアマテラスとは異なる太陽信仰を出自とする神とされます。同条では、月神と同様にこの日神も高皇産霊を祖とすると記されています。

 

壱岐に「月読神社」があることを最近知りましたが、どうやら、そちらの方の流れで、伊勢の月讀尊とは、違う流れのようです。

 

そして、こちらでも秦氏なのですね。

やはり京都は不思議です。

 

そしてここには、平安京が遷都される前から存在しているものが、いまでも大きな力を蓄えておられるのでしょう。

 

平安京は、桓武天皇が陰陽道(風水)に基づく四神相応の考え方を元に行われた吉相の地相と言われていますが、松尾大社は四条通西端に位置し、東端の八坂神社(祇園社)と対峙して鎮座しています。元来は松尾山(標高223メートル)に残る磐座での祭祀に始まるとされ秦氏の勧請とされています。

 

そしてこれは、帰京したから分かったのですが、松尾大社には、月読神社ともうひとつ櫟谷宗像神社という摂社があり、この三社で「松尾三社」というそうです。

 

そう、宗像神社なのですね??

あ、月読神社は壱岐にあります。

そうなのですね。

ここに、海路の示しがあるのですね。

 

渡来人である秦氏は、この京都に、先祖の記憶の海路をここに残されたのですね。

 

で、その櫟谷宗像神社にも参拝すればよかったと思っていたら、

なんと、それは、わたくしが今回敢えてパスした「渡月橋」にあったのですね??

 

 

やはり、この参拝紀行は間違ったものではありませんでしたが、但し、豪雨は「禊」ではなく、なにか「警告」に近い、お示しだったのかもしれません。

 

 

しかし、京都の平安京以前の、つまりは決して日本古代史の中心になかった場所に、この上ない興味が出てきたのは間違いではありません。

 

そのために、今回の京都の参拝があったのでしょう。

 

ありがとうございました。

 

 

※松尾大社前の茶屋で頂いた「鰊蕎麦」も絶品でした。

 

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