「天孫降臨」もたくさんの謎を秘めています。
というか、日本の神話ってどうしてこんなに謎が多いのでしょうか?
世界にもたくさんの神話がありますが、それらはとってもすんなりと読めます。
なぜだろうかと考えてみたのですが、そもそも世界の神話は、相当「有り得ないこと」が多いのですね。ですが、日本の神話は、そもそもがいまのわたくしたちの環境からしてみても、そんなに「離れた」存在ではないのでしょうね。
勿論、日本国という土壌も大きいですが、そもそもが古代史の編纂に基づいて考えられており、但し、その内容に関しては当時の作為的な部分が擦り込まれていて(作為と取るかどうかは別ですが)、また、これは極めて日本的な奥ゆかしさなんでしょうが、詳しく説明しておりません。
「日本書記」は正史ですから、読んでその通りなのですが、但し「~によると」が、ひとつの事象、あるいはひとり(一柱)の神に関して多すぎるのですね。なので、そこに新たな疑問と誤解が生じます。そこで、改めて古事記を読むと、更にその疑問が疑惑になってしまったり。そんな繰り返しなのですね。
ですから、とても面白いのですが...
今回は、古事記の物語「天孫降臨」でも一部ご紹介しましたが、幾つかの謎について考えてみます。
【なぜ、アマテラスさまの子神でなく孫神が降臨したのでしょうか】
天子でなく、天孫が降臨し、葦原中つ国を統治することになりました。
これは、前述のように、物語のところでも触れましたが、高木神(タカミムスビ)の影響力があったでしょう。
天の岩屋戸以降、高天原は合議制を取っており、アマテラスさまはそれを神勅としてお伝えするだけの存在になっています。
但し、国譲りの調略に入るまえには、当然、この国土の支配権を有しているアマテラスさまが、御子神であるアメノオシホミミに、普通にこの国は治めるのはそなたであると語っていたでしょう。
しかし、国譲りは意外に時間が掛りました。オオクニヌシさまは思った以上に賢い相手だったのでしょう(あくまでも記紀に沿った言い方をしています)。
そこで、統治者を変えました。 アメノオシホミミの子である、ニニギノミコトさまです。
〇すっごく俗っぽい考え方をします。
筆者はそもそも記紀にたどり着く以前は、かなりコアな、しかしただの歴史好きでした。
なので、そもそも記紀を読み解く高尚な想念はこれまで持ち合わせていなかったという体での考えとしては、やはりタカミムスビの「摂政」なのですね。
アマテラスさまはそもそも政治に関与されない。だとしたら、それに取ってかわりたい。なにしろタカミムスヒさまは、造化三神、つまりは、イザナキさまよりも前から高天原に出現された神様です。
イザナキさまによってアマテラスさまは支配神にされましたが、それを面白く思っているかどうか??
あ、すみません、俗っぽい考えです。神さまという高貴な存在を意識していない考えです。
で、ここに、タカミムスビさまの娘神、萬幡豊秋津師比売命(よろづはたとよあきつしひめのみこと)と、アメノオシホミミの間に誕生したのがニニギさまです。自分の娘婿と孫のどちらが扱いやすいでしょうか。それより、どちらが好きですか??
こうなると、筆者のレベルとかわりませんが、婿どのと孫は比較の対象にはなりませんよね。
〇少し高尚に考えます。
血統って色々な意味で判断を左右します。
ここは単純に考えます。
アメノオシホミミは、アマテラスさまとスサノオさまの誓約の際に、アマテラスのお持ちになっていた勾玉を、スサノオさまが噛んでうまれた五皇子の長男です。
一方、ニニギさまはアマテラスさまの孫であると同時に、造化三神、 別天津神(ことあまつかみ)のおひとりであられるタカミムスヒさまのお孫さまです。
スサノオさまはその後高天原から追放されていますし、そう考えますと、神さまのなかでもお血筋はニニギさまの方が良いのです。葦原中つ国に降臨するには最高のおかたなのです。
〇古事記の世界観的に考えてみます
以前「古事記の世界観」でも少し書きましたが、実は古事記には、北方系神話と南方系神話の世界観が混在しております。それは、この古事記が編纂された以前のアジアの歴史と、編纂当時の歴史の正統性が微妙に絡み合っているからなのです。
わたくしたちは皇祖神というと「天照大御神」をすぐ連想しますが、実は、五世紀頃の皇祖神は、タカミムスビさまだったのではという研究が進んでいます。なぜなら、このかたは「支配神」でした。
例えば、「誓約」、「天の岩屋戸」と、「国譲り」、「天孫降臨」は、いまですらその話の中心は皇祖神アマテラスさまのように描かれていますが、その対応というのはまったく別人としか思えません。そう、別人だったのです。
後述ふたつはタカミムスヒさまの手腕。つまり、そもそもは「絶対的支配神」の采配だったわけです。これは南方系神話に同じような記述がみられます。事実、この5世紀の時代には国内統治のためにそういう「支配神」を皇祖神とする必要があったのです。強い権威と指導力を必要としていました。
しかし、天武天皇以降は違います。むしろ「合議制」なのです。
天武天皇は自らを正統化するためにも、この政治的統治は「合議」に基づいていることを公に示す必要がありました。
そこで考えたのが、二つの次元、二人の皇祖神の合体だったのです。以降、皇祖神は、アマテラスさま一本でまとまっていきました。
〇大嘗祭と天孫降臨
最後に、これはわたくし程度の古代史学知識ではとても説明でききれないのですが、「大嘗祭」とは、天孫降臨の故事を儀式として再現させたものであるということです。
これは日本の民俗学の基礎を気づいた折口信夫先生の論理ですが、日本書記にあるニニギさまが覆われていた「真床追(覆)袋」(まどこおふすま)こそが、新天皇誕生の呪具だそうで、ニニギさまは御子神ととして誕生し降臨したということです。
大嘗祭は現在でもそれに倣って祭事を行われているということです。