天孫降臨 | 神々の東雲

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わたくしたちの美しい国日本の成立を、記紀や神様のはなしを中心にまとめました。

いよいよ、「天孫降臨」です。
いままで、色々な天津神が現れ、日本国の「精神的」な基礎・土台を作って参りました。
その後、国津神が今度はこの国の「骨格」を作っていきました。
ここに日本国の魂と肉体ができあがりました。
そこに、満を持して、高天原から天津神を、この日本国に頂くこととなりました。
これが天孫降臨です。
 
 
(現代語訳)
そこでアマテラスと高木神は、日嗣の御子のアメノオシホミミにたいして「今、葦原中国を平定し終わったと申してきた。だから、先に委任したとおりその国に天降って統治なさい」と仰せになった。
 
ところが、その日嗣の御子のアメノオシホミミが答えて申すには「私が天降ろうとして支度をしている間に、子が生まれました。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命(アメニキシクニニキシアマツヒコヒコホノニニギ、以下ホノニニギ)と申します。この子を降すのが良いでしょう」と申し上げた。
 
この御子はアメノオシホミミが高木神の娘の万幡豊秋津師比売命(ヨロヅハタトヨアキツシヒメ)と結婚して生んだ子で、天火明命(アメノホアカリ)と、次にホノニニギの二柱である。
 
こういうわけでアメノオシホミミの申されたとおりに、ホノニニギに「この豊葦原の水穂国は、あなたが統治なさるべき国であると委任します。だから命令に従って天降りなさい」と仰せになった。


 
※なぜ、アメノオシホミミさまからニニギさまに統治者がかわったのでしょうか?
ここはとっても興味深いところです。
ここで大きいのは高木神(タカミムスビ)の存在です。そして、このブログに何度も書いている「高天原の合議制」です。
アマテラスさまは「天の岩屋戸」以降は、全て「詔」をしてその指示を出されております。
高木神は、 アメノオシホミミの妻神、 ヨロヅハタトヨアキツシヒメの父神、つまり、ニニギさまからみれば、祖父神さまです。これは、アマテラスさまrと立場は同じです。「国譲り」でいろいろ策を練って貢献した(実際には高木神の子、オモイカネさまの知恵)ことで、この降臨に関しても、自分の婿神より、孫神の方が良いに決まってますよね。


 
(現代語訳)
ここでホノニニギが天降ろうとしたときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らす神がいた。
そこでアマテラス、高木神はアメノウズメに命じて「あなたはか弱い女だが、向き合う神に面と向かって気後れしない神です。そこで、あなた一人で行ってその神に『アマテラスの御子が天降りする道にこのようにしているのは誰か』とたずねなさい」と仰せになった。
 
そこで問われた神は「わたしは国つ神で、名は猿田毘古神(サルタビコ)である。このようにしているわけは天つ神の御子が天降ると聞いたので道案内に仕え奉ろうとしてお迎えに参ったのです」と申し上げた。
 
ここで、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、伊斯許理度売命(イシコリドメ)、玉祖命(タマノオヤ)併せて五柱の部族の長を従えて天降りされた。


 
 
※サルタヒコさまに関しては、とても大事な神さまなので、また別に解説いたします。
 
 
 
 
(現代語訳)
そのとき、八尺の勾玉、鏡、草薙の剣、常世のオモヒカネ、手力男神(タヂカラヲ)、天石門別神(アメノイハトワケ)も添わせて、「この鏡はもっぱらわが御霊として、わたしを拝むように奉りなさい。つぎにオモヒカネはわたしの祭りに関することを取り扱って政治をしなさい」と仰せになった。
この二柱の神(アマテラスとオモヒカネ)は五十鈴宮にお祭りしている神である。
 
 
※アマテラスさまから三種の神器を授かりました。三種の神器の内、 八尺の勾玉と鏡は、天の岩屋戸の際に造られたもの、そして草薙の剣は「八岐大蛇」を退治した際に尻尾から出てきたものをスサノオさまがアマテラスさまに献上したものです。


(現代語訳)
つぎに登由気神(トユケ)、この神は度会に祭られている神である。つぎにアメノイハトワケ、またの名は櫛石窓神(クシイハマト)といい、またの名は豊石窓神(トヨイハマト)という。この神は宮廷の門にいる神である。
 
つぎにタヂカラヲは佐那那県に鎮座している。
 
また、アメノコヤネは中臣連等の祖、フトダマは忌部首等の祖、アメノウズメは猿女君等の祖、イシコリドメは作鏡連等の祖、タマノオヤは玉祖連等の祖である。
 
さてそこで、天つ神に命じられたホノニニギは、高天原の岩座を離れ、天に八重にたなびく雲を押し分け、堂々と道をかき分けかき分けて天の浮き橋に立ち、そこから筑紫の日向の、高千穂の峰に天降りされた。
 
そのとき天忍日命(アメノオシヒ)、天津久米命(アマツクメ)の二人は立派な靫を背負い、頭椎の太刀を腰に着け、櫨弓を持ち、真鹿児矢を持って、ホノニニギの先に立ってお仕えした。そのアメノオシヒは大伴連等の祖、アマツクメは久米直等の祖である。
 
 
そこでホノニニギは「ここは朝鮮に向かい、笠沙の御崎にまっすぐに道が通り、朝日が差し、夕日が照るたいへんよい場所である」と仰せになって、地下の岩盤に太い柱を立て、千木を高々とそびえ立たせた宮殿をお作りになり、住まわれた。

そしてホノニニギはアメノウズメに「道案内に奉仕したサルタビコは、正体を明らかにしたあなたが送りなさい。そして、その神の名はあなたがもらい受け、今後も奉仕しなさい」と仰せになった。こうして猿女君らはサルタビコの男神の名をもらい受け、女を猿女君と呼ぶことになったのである。
 
そこでサルタビコが阿邪訶にいて、漁をしていたとき、ひらぶ貝に手をかまれて海に沈み溺れてしまった。そこで海の底に沈んでいたときの名は底どく御魂といい、その泡が裂けるときの名はあわさく御魂という。
 
ここにサルタビコを送って帰ってきて、ただちに全ての大小の魚を追い集めて「おまえたちは天つ神の御子にお仕え申し上げるか」と問うた時、すべての魚たちは「お仕えしましょう」と答えた中で、なまこだけは、そうは答えなかった。そこでアメノウズメはなまこに「この口は答えない口」と言って、細い小刀でその口を裂いた。そこでなまこの口は今でも裂けているのである。
 
こういうことで代々、志摩国から初物の海産物が献上されたときには、それを猿女君らに賜るのである。

 

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