亡き伯父のバイク遍歴 掲載誌を見つけました | Vanves の毎日 衣食住+et cetera

Vanves の毎日 衣食住+et cetera

本当の贅沢とは何だろう?

大切な思い出備忘録




  


超!個人的に残す為の記事で恐縮ですが ご覧頂ける方には心より感謝致しますおじぎ


先程、日常記事を書いている途中に

ちょっと調べものをしていたらとんでもない記事に辿り着きましたので驚いたのなんのって!

亡き伯父をこんな形で見るとは・・・!慌てて実家に電話した私(笑)


十数年前に亡くなったvanves伯父が 生前に残していた某誌のバイク道楽ページです(笑)

ニ輪も四輪(国産車・外車)もセスナ機も・・・

男のロマンであるモーター道楽だった若き頃の伯父(vanves父も同様ですが!)


昨日の記事を書いている途中でしたが 驚きのまま取り急ぎ 「なう」 をUP

尚、マイブログに亡き伯父の記事をそのまま残す為に個人名、勤務先名などはXX表示とします



バイク遍歴

 

東京都××区 ××× ×(69歳) 1999年11月号


なにかと思い違いもあるかも知れませんが、

懐かしくも切ない青春時代の写真です。


Vanvesの毎日 衣・食・住

米 ×××勤務時代

写真のポインターコメットPC1は、昭和28年早々に購入

自宅のある神奈川県から巣鴨の、駕篭町十字路周辺に何軒かあった中古オートバイ屋で6万円で購入し、道もよくわからないままなんとか五反田(品川区)へ出て、怖い思いをしながら国道1号を、自宅へ帰りました。このポインターは150ccで、箱根・強羅への坂道をローギアでも登れなかった非力さでしたが、2本マフラーに前後バンパー、前所有車が付けた両サイドの革カバンの重装備がとてつもなく当時は格好よく見えたのです。昭和28年10月、自宅前で。このポインターは、1年くらいで売却しました

 


Vanvesの毎日 衣・食・住
ポインターの非力に泣いて、次は大馬力のキャブトンRTF(500cc)のバーチカルツインを、横浜・保土ヶ谷の中古オートバイ店から購入しましたが、かなり乱暴に乗られていたので、自分で車体をバラし、塗装とメッキは外注に出し、エンジンは平塚駅前1国の、1本馬入寄りの道を北に入った小泉内燃機でボーリングとピストンリングを交換してもらい、タイヤ、チェーン、ワイヤなどの消耗品も、金と半年くらいかけて完成にこぎつけた1台です。アメリカ製の革ジャン、Gパン、ブーツなどは、××に勤務していた関係で購入し、25歳の若さに任せて得意になっていた昭和30年2月に撮影。週に1~2度は単車で通勤し、途中、藤沢から枝道を少し登ると、国道間際まで大きく張り出した台地上に藤沢飛行場があり、帰りによく立ち寄っては飛行機を眺めたものです。藤沢飛行場は、戦時中に不時着飛行場として造られたのですが、現在はゴルフ場になっています。キャブトンではよく、ひとりでドライブに出かけましたが、茅ヶ崎の国道上を100Km/hくらいで走行中、ガクっというショックとともにエンジンがストップ。後輪がロックして横滑りをし、とっさにクラッチを切って事なきを得ましたが、クランクシャフトを折損するというトラブルに見舞われました。その後、キャブトン600でも同様のトラブルを起こし、キャブトンはエンジンに、重大な設計ミスがあったようです


Vanvesの毎日 衣・食・住

自宅前で、ポインターと一緒に写したラビット。このほかにもう1台、爆撃機の尾輪を使った押しがけ式のスクーターがあり、これは補助車として何年も使いましたが、今になってみれば、写真のないのが残念です


Vanvesの毎日 衣・食・住

とりあえずミッションだけを修理して6ヵ月乗り回してからキャブトン同様にレストアし、塗装は自分でライトブルーに塗り、タイヤは前後ともリキャップ(山かけ・再生)をして使用。ボーリング後エンジンを組み立て、庭で1日中アイドリングのまま慣らし運転をしていて、近所の人からうるさいと注意されました。
当時は用もないのにたびたび、都内まで遠乗りに出かけました。昭和32年1月


Vanvesの毎日 衣・食・住

キャブトンにも飽きて次に目につけたのが陸王です。RT750の新車が確か37万円前後だったので、東京・杉並の人から、'53年式のRQを10万円くらいで譲り受け、ローギアの入らないハンドチェンジ3段の2速を使いながら、これも初めての左足動クラッチを操作しながら神奈川まで帰りました。この陸王はキャブトン500のときと同じようにレストアをしましたが、別体式エンジンとミッションは修理しやすい車で、ミッションも自分で分解し、摺動部の摺り合わせをして修理完了。アロハシャツに木製のサンダル姿で、葉山海岸へ海水浴に出かけた26歳当時。ほとんど丸坊主のタイヤは、白ペンキでホワイトタイヤにしていた。昭和32年7月撮影


 


Vanvesの毎日 衣・食・住





'57年撮影。マーロン・ブランド主演の「ならず者」というアメリカ映画が3年ほど前に上映され、日本のバイク好きのほとんどが観た主役のジョニーに憧れて、アメリカ人に頼んで通販の大手、「シアース&ローバック」から、ライダー用革製丸帽、革ジャンパー、Gパン、ブーツなど、当時の日本人ではなかなか手に入らなかったものを買い揃え、ジョニーになりきっていた当時の私。



伯父本人は亡くなっても 記事は永遠に残っているんだな~と。

感激のあまり記事とした姪っ子vanvesです



こちらも併せて載せて置こう

伯父、トヨペットの取材を受けた頃 


大空も地上も自由自在の名操縦士!と

紹介されている若い頃の亡き伯父


バイク、クルマ、セスナ・・・オトコの人生はさぞかし楽しかった事でしょう



こちら 次男 vanves父


こちら三男 vanves叔父

Vanvesの毎日 衣食住

バイク3兄弟 (残る男兄弟1人は何故か華道の先生なのです桃の花





ペタしてね