何処からか漏れ聴こえくる緩やかなアルトサックスの音色が、僕を浅い夢から連れ出した。
既に窓の外には身を焦がすような陽光が、燦々と、間断なく降り注いでいる。それは、長かった冬の貧弱な灯とは出自を別にするもののように、圧倒的な質量を持って辺りに彩りを放っていた。
赤・黄・緑・・・穏やかで鮮烈な光が、全ての生命に、海に、空に、有機的な’色’を与えてゆく。
それは僕に、子供の頃入れ込んだ’塗り絵’を思い起こさせた。まるで線だけが描かれた真っ白な用紙に、クレヨンで様々な色が塗り込められていくような感覚。
ああ、自然の持つ色彩のなんと豊かなことか!
可憐さと力強さ。DNAの螺旋上に書き込まれた相反するピースが互いを殺すことなく、引き立てあっている。
強きが故に美しく、美しさがその強さを際立たせているのだ。
顔や手や素足の周りを通り過ぎてゆく、さらりとした軽やかな空気の感触があまりにも心地よい午後。
どうやら’ハルイロ’の到来を待ちわびていたのは、ワンコ達も同じだったらしい。この季節特有の匂いが彼等をこうも興奮させるのであろう。
いったいどうしたら、これほど幸せに満ち満ちた表情ができるのか?できることなら、僕もこんな風に嬉々として日々生きて行きたいものだ。
DT対岸のキツラノ・ビーチには、先日の強風で打ち上げられた小船が2隻。それらは、僕に行き場を失って岸に迷い込んだ不運な鯨の巨躯を連想させた。
陸に上がった巨鯨・・・本来の居場所を誤ったものからは、何だか滑稽でやるせない悲哀が伺えた。それは、この世に存在する全ての(あるいは多くの)ものが、定められた存在すべき場所やあるべき姿を持っているということの証のように思えた。
地球は丸く巨大な天体からみれば、それはほんの些少な存在に過ぎないらしい。少なくともこの地球上では、どんなものにでも必ず’果て’が用意されているのだ。
しかし瑣末な僕の眼からは、海も、空もどこまでも恒久的に続いているようにしか見えないのだ!
僕は自問自答を繰り返す。一体自分は、どこにどのようにあるべき存在なのだろうか、そしてどんな色を放つことが出来るのだろうかと。