富 と 心 | 「楽しく資産運用!」 元金融系役員の語る、株式市場! 

富 と 心



オーストラリアで富裕層と接点を持って感じたことがある。


結局は資産運用というのは生活するうえで、自分がどうなりたいか、どうしたいかということにより
リスクを取ったり、取らなかったりということである。なので、例えば老後の最低20年ということ
だけであり、金融資産が2億あるという人は、安定した預金などでよいし、逆に60才でも子供がまだ
小さかったりで金融資産も数千万しかないということになれば、当然資産運用は積極的にしなければ
いけない。

自分の持っている資産と、すぐに動かせる資産(金融資産)、借金と家族の環境というのがとても重要
なわけであり、それに合った運用をせねばいけない。

まあ50歳、子供はもう大学生という夫婦であれば、最低1億の金融資産でまずまずの暮らしは保証できる
わけであり、この辺くらいの水準を少なくとも目標にはしたいものである。

なんだかんだ言っても、お金はかかるわけであり、いざというときのお金があるとなしでは、生活していく
上での余裕度が違うし、他人に嫉妬しなくともピュアに生きていけるわけで、その水準で心地よいのは
数億の金融資産であると見る。極端な金持ちも大変だし、生活をキリキリするラインも大変。つまり金融資産
数億を目指す、その中で人生を豊かにするということが大事。

ここのところ、ブログができたこともあり、ネットで本心を書くことが誰でもできるようになった。その中で
話題の多いのが、世代のせいもあるが、子育てと給料や資産運用の話題である。そうみていくうちに、わかる
ことがやはり無い人というのは、社会や経済を斜めから見る傾向があり、それは嫉妬であったりする。余裕
のある人というのは物事に直からみることができる。人に嫉妬感よりも、学ぼうとする気持ちが強いという
ことがわかる。

お金よりも大切なこととして、やはり物を直に見ることができ、素直にそこから勉強することができるという
気持ちを持つことが何よりも財産だということがわかる。なので年収いくらという話題が多いのだが、結局は
学ぼうとすることを忘れてしまい目先のお金しか見えない人が、長期的に豊かになるとは思えないわけであるが、
資産というのは流動的であり、特に億の世界ではそれなりの気にするということが多くなる。そういった場面を
経験していない人というのは経験している人からすると、心がすごくわかられてしまう、うそだということが
すぐにわかってしまうので、チャンスにめぐり合えないということが法則的にわかってしまう。

税金も大して払っていないのに、金持ちからもっと取ればよいとか、頼る時だけ、来る、自分で何かやろうと
する心が無いという人は結構いる。テイク&テイクという人が結構おり、そういった心がさらに心も財布も
乏しくしてはいる。

20代の若者でも、何か積極的に取り組む人、さらには自分の懐状況の中でも人にギブできる最低の何かをできる
人というのは必ず成長する。人から得るだけ得て、自分では人にできないという人は、やはりチャンスは少ない。

良くある話だが、人の家にばかりお邪魔して、飲み食いして、自分の家には決して呼ばない人。こういった系の人
にはチャンスはないし、本当の情報も少ない。「人が集まる家というのは富を得る」というのは世界観として良く
ある話。その意味は、他人にもてなすことでわかる、ギブすることでわかる、本心が習得できる最大の秘訣であり、
やる人にしかわからない何かがあるのである。

友人を家に呼び、楽しんで帰ってもらう、こういったことが上品にできる人は情報も経験も人を許容する器も
持っている。なので自然と富が集まることになる。結局、1度招待して、いまいちの人は2度と呼ばないのが
基本であるから。

不思議なもので、自分の家に上手に招待できない人というのは一様に貧しい人が多いというのがわかる。これは
お金だけでなく、気持ちも、情報もなのである。

富というのは追って得れるものではない。自分の生活を綺麗にし、物事に積極的に取り込み、常に学ぼうとし
人にギブでき楽しくできる人というのが富を自然に得るものなのではないだろうか。もう一度自分が接待上手か
どうかを考えた上で資産運用に取り組むべきである。

上手でない人に「億」というお金は無縁であるのだから。