自分を誇れるのはこれしかなくて、
これだけで生きるには乏しすぎて。

明日は頑張ろう。

自信を付けられるか、
羞恥に打ちひしがれるか。
最近、赤ちゃんが可愛いと思える様になった。これは絶対に成長だ。
不安が無く成る日は無い。
常に、付きまとう。

大学に行っていない。
自由すぎる時間を持て余している。
やる事はあるけど、やってはいるけど、
スピードが低すぎる。
先が見えないからかもしれない。

とりあえずは、デザフェスが終わったら、
ちゃんと、デッサンして、カンプを完璧に描けるようにしよう。
それでなかったら、もう一度、デザイン事務所に勤めよう。

取りあえず、地盤は必要なのだと実感する。
今の能力では、話にならない。

何も知らなかった頃の自信が、今は恥ずかしい。
でも、絶望した訳ではないし、
やるしかない、それしか道は無いのだと、腹を括れているところもある。

でも、ふと時折、何時も気付かないうちに背負っている影の様な不安が、
首を擡げる瞬間が在る。

今の能力の無い私は、黙って、それに耐え忍ぶ今年か出来ない。

逆に言えば、それをしつつ、満足の行く所まで延ばすのが、
今やるべき事なのだと思う。

随分と、時間を無駄に使ってしまった。
その間は、成長して居ない訳ではなく、私なりには、随分と成長したし、
それは、この先伸びる上で、絶対的に必要だったとも言える。
でも、やはり、減速と、その時間によって失った物も、見えて来てしま
う。
もっと、頑張れたのではないか、
どうして、どうして、一分一秒も無駄にはしてはいけないと
思っているのに、こう、遅いのだろうとか、
それにだけ、費やせないのだろうとか、
と、暗い心は見えて来てしまう。

まあ、でも、それらの悩みは在れど、
余在る時間で、ゆっくり、自分を客観的に見詰める事が出来たと思う。
客観的に見詰めるには、この短い人生のなかでも、最上位の次辺りにラ
ンクイン
する位の、低迷期ではあるのだけど。
伸びてはいるのだ。

そう、一年前より、ずっとずっと、伸びてはいるのだ。
答えが出ていないだけで。
ただ、仕事をしていたり、課題をしていたり、一定の計りのある中での、
「ギリギリまで頑張った」という感覚が、無いだけなのだ。

私の正確は、ギリギリにる充実感というか、限界…リミットの見える暗
い、
頑張れているときこそが一番、精神的に安定するのは、
分かり切っている。

今は、思考は周りに回っていはするが、
結局は、この不安も、なにもかも、堕落が一番の原因なのだ。
リミットが、見えてない。
しかも、今のその状態は、完全な堕落ではなく、
「ある程度、自分の我慢の行く範囲で一応がんばっている」
という、中途半端な状態である事が、一番厄介なとこなんだ。

ギリギリまで、頑張ればいい。
そうおもうのに、簡単な事なのに、昔の様に、出来ない今の私は、
堕落が骨身に沁みてしまったのだろうか?


…どの方向に、進んでいいのか、何時も、いつも、自分で考えて、
考えて、考えていかなければいけないのが疲れるのかな。

でも、そうじゃなきゃ、歩けない性格なのだから、
今は、耐えて、今まで以上に努力する事を、美徳とし、
それにむかってすすもう。
それが、精神的に、一番ラクな考え方だ。




でも、逆に、
堕落、堕落と書いて来たけれど、その空いた時間だからこそ、見詰めら
れた物も、大きいと思う。
自分自身とか、その他との関係性だとか、多くの物を、じれったいくら
いのスピードのなかでしか
見れない汚い部分も、見れたから、今の状態もまた、良しとしよう。
しなければ。
多分、きっと、とどのつまりは今の私の悩みというものがあらわすのは、
やっと、先をきちんと考える事が出来る折り目まで来たという事なのか
もしれない。