弱い人を見た。
その人は、どうしようもない位、大変な位置にいて、病んでしまった。
1日、2日、3日、…一週間…二週間…と、見詰めるうちに、本当に、細々したところ、物事の捉え方、対処の仕方…
そういう所で、そんなに大変でないことも、大変にしてしまってるのだと気付いた。
本当に細かいところで、屈折していて、少しだけ逃げ腰で、だから、対処すべき所で対処出来ない。
隠そうという逃げの考えが、どこかで浮かんでしまうから、後でしわ寄せがきて追い詰められてしまう。
少しだけ、屈折しているから、そのことに対しても、面と向かって感じることが出来ないから、精神的にも追い詰められる。
ほんの少しの
逃げと、
要領の悪さと、
弱さ。
すべてほんの少しなのに、合わさって、歯車が狂ってしまうと、抜け出せない。
ほんの少しだから、気づけないのかもしれないけど、
ほんの少しだから、きっかけさえあれば、浮き上がる事も出来るとおもうのに。
情緒不安定なとこ
…変に笑いすぎてしまったり、急に落ち込むところ…とか、
人への接し方とか、物事の感じ方とか、凄い細かなところが
まるで、昔の私の様だった。
ほんの少しすぎて、気づけない。
自分の現状にすら、気づけない。
そう思って今、昔を振り返ると、私は本当に、危険な所まで行ってたんだと思う。
結局、
どう言葉をかけていいのか、わからなかった。
正直、出会って間もない人間だから、心なんて開けないだろうけど、
普通の会話にすら返ってくる拒絶感に、
最初、びっくりしてしまった。
私が悪いのかと、悩みそうになった。
そういう状態にいるひとは、何を言っても屈折してしまうから、
何も言わない方がいいのかもしれなかったのに。
傷つけてしまったかもしれない。
今の私は、何だかんだ言っても、凄い自分が好きだし、誰よりも強いと思ってる。
こういうのって、本当にそうなのかとか、あまり関係なくて、要は自分自身のなかの問題だから、
もし今、超えられないくらいの問題が起きて、膝を折る可能性があっても、
多分超えられて、膝を折りかけても立ち続けることこそ、意義があることだと、思えてること、
…問題こそ、自分を試すこと、そして、更に強くなるために必要なことだと、認識してることに意味があるのだと思う。
そう思えてる今の私は、多分大丈夫だし、
何か起きても、片膝つくくらいで起き上がれる。
でも、抗う力がない人には、壁じゃなくて、奈落の穴の様に感じてしまうんだと思う。
つらさをしっているはずなのに、
何も言えない。
こうして冷静に分析してるのに、今、大変な状態にいないだけで、理解出来ない自分は薄情なのかと思った。
昔の自分が嫌いだからこその、同族嫌悪じみたものもあるのかもしれないけど、
結局、他人にはどうすることも出来ないし、慰めることに向いてない私は、何も言わないで見てるだけだけど、
どうか元気になってほしいと、
こうして遠くから祈っている。