対人関係も、上手くない。
頭も、良くない。
性格も、客観的に見たら、凄く嫌なが人かもしれなくて、
厚顔に見えて、酷く傷つきやすい。

何もない。





多分、最後に残るのは、絵だけ。





実力を見せ付けて、泥を這って行くしか、道はない。




何もない。
どうしようもない。
だけど、それが堪らなく嬉しい。



何も無い。

だから私は、何処までも行ける。

這いつくばって、でも、行く。
強く在る事。
人間として、強く在ること、

それがどのような事かを考えさせられる日だった。
そういう人に会った。

今、自分がどういう方向に行きたいのか、生きたいのか、
その為に、どうすればいいのか、
どうしたいのか、どういう自分で在ればいいのかを、
本当に考えて生きている同年代の人は、凄く少ないと、思う。

そういう人に、会って来た。



私は、凄く人に合わせてしまう性格だ。
でも、腹を割る事、自分を出すということ、率直である、強さ、
それの大切さを、実感した。

他者に優しくするとか、そういう話とは別で、

エゴイストであり続ける強さが必要だと思った。

日々、それを思って生きている筈なのに、
本当の意味で、考え切れてなかった事を、反省した。

素の強さ。
率直であること、貫く事によって、
私の在りたいものになれるのだと言う事に、気付かされた。

そうだ。
自分を作る事、
作った物を、見せる事、
それはフェアではない。

そう、実感できた日だった。

何よりも、強さを要する、エゴイストになりたい。
弱い人を見た。

その人は、どうしようもない位、大変な位置にいて、病んでしまった。

1日、2日、3日、…一週間…二週間…と、見詰めるうちに、本当に、細々したところ、物事の捉え方、対処の仕方…
そういう所で、そんなに大変でないことも、大変にしてしまってるのだと気付いた。



本当に細かいところで、屈折していて、少しだけ逃げ腰で、だから、対処すべき所で対処出来ない。

隠そうという逃げの考えが、どこかで浮かんでしまうから、後でしわ寄せがきて追い詰められてしまう。

少しだけ、屈折しているから、そのことに対しても、面と向かって感じることが出来ないから、精神的にも追い詰められる。


ほんの少しの
逃げと、
要領の悪さと、
弱さ。

すべてほんの少しなのに、合わさって、歯車が狂ってしまうと、抜け出せない。
ほんの少しだから、気づけないのかもしれないけど、
ほんの少しだから、きっかけさえあれば、浮き上がる事も出来るとおもうのに。



情緒不安定なとこ
…変に笑いすぎてしまったり、急に落ち込むところ…とか、
人への接し方とか、物事の感じ方とか、凄い細かなところが
まるで、昔の私の様だった。

ほんの少しすぎて、気づけない。
自分の現状にすら、気づけない。

そう思って今、昔を振り返ると、私は本当に、危険な所まで行ってたんだと思う。








結局、
どう言葉をかけていいのか、わからなかった。

正直、出会って間もない人間だから、心なんて開けないだろうけど、

普通の会話にすら返ってくる拒絶感に、
最初、びっくりしてしまった。
私が悪いのかと、悩みそうになった。


そういう状態にいるひとは、何を言っても屈折してしまうから、
何も言わない方がいいのかもしれなかったのに。

傷つけてしまったかもしれない。














今の私は、何だかんだ言っても、凄い自分が好きだし、誰よりも強いと思ってる。

こういうのって、本当にそうなのかとか、あまり関係なくて、要は自分自身のなかの問題だから、

もし今、超えられないくらいの問題が起きて、膝を折る可能性があっても、
多分超えられて、膝を折りかけても立ち続けることこそ、意義があることだと、思えてること、
…問題こそ、自分を試すこと、そして、更に強くなるために必要なことだと、認識してることに意味があるのだと思う。

そう思えてる今の私は、多分大丈夫だし、
何か起きても、片膝つくくらいで起き上がれる。


でも、抗う力がない人には、壁じゃなくて、奈落の穴の様に感じてしまうんだと思う。


つらさをしっているはずなのに、
何も言えない。

こうして冷静に分析してるのに、今、大変な状態にいないだけで、理解出来ない自分は薄情なのかと思った。


昔の自分が嫌いだからこその、同族嫌悪じみたものもあるのかもしれないけど、



結局、他人にはどうすることも出来ないし、慰めることに向いてない私は、何も言わないで見てるだけだけど、


どうか元気になってほしいと、
こうして遠くから祈っている。