先日久しぶりに新橋鶴八に駆け込んだら、運よく石丸親方に握ってもらえたんですが、酔い越しの握りが頗る旨くて親方の親方である師岡親方が書いた本があるのを思い出し、早速ポチって読んでいた。この「神田鶴八鮨ばなし」という本は、柳橋美家古鮨での師岡親方の修業時代を中心に1992年ごろに上梓されたものだが、今は亡き職人の修業の様が伺えると共に鶴八一派の流れが伺える良書で、一気に読み終えた。

そういえば、新橋しみずや鶴八へは伺った事があるが、他の店は行った事がないので、柳橋の美家古鮨から、新橋の鶴橋分点を巡って、先日初めて神田神保町の鶴八へ鮨巡りと洒落こんだ。

取りあえず一見はこなしたので、機会があればまた行きたいと思っていたら、偶さか親父と用事があったので、神保町まで呼び出すことにした。

既に好々爺となった親父も、後は好きなものでも喰って余生を楽しんでもらえればと思っているのだが、何分九州の田舎育ちで江戸前鮨に拘りがあるとは思えない。普段は池袋界隈のつまみが出せる寿司屋でお茶を濁しているので、偶には都心の寿司屋もどうだろうと思うが、当代の流行りの寿司屋では、お任せの店が多く元来好きなものしか口にしない頑固親父をして、そういった今風の店は馴染めないこと必至なので、こういった昔気質の店なら気楽に飲み食いが出来ようかと思って予約をしてみた。老人の就寝時間は早く、夕食の時間も文字通り夕方の5~6時なので、予約の際にお女将さんに、6時か6時半とお願いするも、親方から7時と言われ、5分前に神保町駅上の銀行前で待ち合わすことにする。

時間通りに銀行前で落合い、店まで案内する。九州男児に(店で焼酎はないのかと騒がれるのも困るので)「ここはビールと酒しか置いていないこと」を断り、暖簾をくぐる。カウンターの真ん中に導かれ、大瓶を頼む。最初の一杯だけ付き合って、小生は酒を常温を頼む。

親方が忙しそうなので、先客の握りが仕上がるのを待っている内に、がりをつまみに小振りのグラスを空ける。

親父は今度行く福岡の件を声高に話すので、周りの常連客を気遣いながら、話題をそらす。親父は九州に赴任が長かったことから、今では九州の地縁の方が多いと嘆く。今度福岡にゴルフに行くことにしているので、ゴルフの話や昔の顧客の話などに花が咲く。一息ついたところで、師岡親方の本に出てきた一万田先生の話などを引き合いに出し、鮨に集中させようと試みるが、既に顔が赤らんできており、柳橋の話や昔の料亭の話などに脱線するばかりで、つまみで何がいいのか一向に鮨の話にならない。

田島親方が何にしますかとようやく手が空いたようで、塩蒸しとあずきはたと春日子をつまみでもらう。塩蒸しは絶品。生の鮑もそれはそれで食感が堪えられないのだが、薄く切られたひと切れひと切れの塩蒸しは適度に弾力が残っていて、何より歯切れがよく旨味がほのかに乗っておりバランスがいい。春子は寿司だねとしては立派でそこそこの厚みがあるが、仕事が優しいので酒のつまみとしては物足りない。寿司飯と合って初めてよくなると感じた。あずきはたは、寝かせ方が絶妙で旨味は今一つだが、だれた感じがなく、それでいて単なる魚ではなく、すし種として適ったものとして旨味が出ている。

親父は醤油に山葵を溶いて、何にでも醤油をつけようとするので、塩蒸しや春子は、箸の運びを制する必要がある。現役の時代には数々の接待も受け、料亭やお茶屋の類も知っているのであろうが、年老いて粗食となった今、食習慣は自己の幼少期の癖に戻る様である。

酒も進むが摘みが足りないので、鯵をもらう。先日の新橋でもらった鯵も良かったが、この日の味は格別であった。ひと切れの大きさが小振りでいて、身が軟らかく且つ滋味が詰まっており、それでいて臭みを微塵も感じない。味と鮮度から来る食感を両立できる大きさを選んだ親方の目利きに感謝すると同時に、この完璧さはやはり長年熟練の長があろうかと思った。

親父の好みでみる貝を頼む。これも歯が浮くようなこりこりした食感が好きな親父の為に頼んだのであるが、出てきたのはかなり大振りのみる貝で身が軟らかくしなやかで甘みもあるものであった。寿司ネタとしては最高なのであろうが、親父の好みとしては失敗だ。後は、生の鮑しかないなと思っていると、親父が烏賊と白身を頼んだ。鰈は昆布締めであるので白身の角が取れた仕上がりになっているのは予想がついたが、案の定親父は口にしない。烏賊は鮮度良く且つ甘みがあり、そちらばかりに箸をつけていた。

次いで親父は蝦蛄を握ってもらい、穴子と煮蛤は2貫づつ握ってもらった。自分はこれに一貫づつ赤貝、赤身、雲丹を握ってもらい、親父には干瓢巻を出してもらった。

本来は本日の目標の海老かおぼろを頼むつもりであったが、まだ2回目であれば、ここは控えておこうと思った次第。最後に玉をつまみでもらって勘定をした。

ビールの大瓶2本とお銚子が2本で占めて諭吉3人出て行き漱石がお戻りになった位。小生はリーズナブルと感じたが、年金暮らしの老人は高いと嘆いていた。(何分銀座で寿司を食らうようなことはとんとしてないもので、都内での一線級の相場が夜の一人前で大体諭吉が二人から三人がかりなことは分からないのだろう。)小生は二人で諭吉3人でお釣りがくるなら、これは十分リーズナブルだと思う。

頑なに江戸前のやり方を守るこちらの鮨と現代の鮮度優先で提供する寿司、それと両者の技を巧みに組み合わせた当代の人気店などが向うそれぞれの方向性を再認識すると共に、世代の好みも変わりつつあることから、増々、ここ鶴八の様な真正直な仕事に固執する店には頑張ってもらいたいと思った次第。

今回頂いた中で秀逸だったのは、塩蒸し、鯵、蝦蛄、穴子、煮蛤など、仕事をする種に関しては、まだまだ、後塵を拝する職人(特に若手)が多いような気がする。

<つまみ>
塩蒸し5
あずきはた3.5
春日子3.5
鯵4.5
みる貝4
烏賊3.5
鰈昆布締め3

<握り>
赤貝4
赤身3
蝦蛄4
穴子4
煮蛤5
雲丹4
干瓢巻3
玉3

酒二合
ビール大瓶2本
28,950円也