酒飲みの始まりはと記憶を辿っていくと、小学生の頃の梅酒に辿りつきます( ´艸`)

当時当家は未成年の飲酒に鷹揚という訳では決してありませんでしたが、なぜか梅酒は飲んでいいことになってました。季節が来ると青梅を買ってきて、ホワイトリカーと角砂糖で梅酒を仕込み3~5年ものを仕込んであったと思います。

そもそもは、浸けたあとの青梅をお八つ代わりに食べていたのですが、あるとき仕込み途中の甕の中の液体がとてもおいしそうに思えてなめてみると甘くてほんのりほわっとするので(酔ってんじゃねーのというお叱りはスルー)(*゚ー゚*)
グラスで飲んでいるところを母親に見つかり、その後は飲んでもいいけど水か炭酸で割りなさいと言うことになりました。

当時は親父が中元、歳暮でも頂いたサントリーのウイスキーやジョニ黒などが、応接兼居間の飾りと棚に鎮座ましましていましたが、そんなものは目もくれず、学校から帰ると梅酒の水割りを飲むのが楽しみでした。

勿論一杯だけですので、アル中になってたわけじゃありませんよ。

そんな、ことですから20近くになって大手を振って飲めるようになった頃は、ビールが苦手で、勿論に日本酒もだめで、自然と洋酒を楽しむようになったもんです。普段は酎ハイや不味い日本酒しか飲めなかったので、一人でバーに足を踏み入れたりしたのもこの頃です。

大学1年の時はサークルの新人歓迎コンパでお決まりの洗礼を受け、サークルの合宿では夜のミーティングが終わると大宴会になる(ほぼ毎日)サークルでしたので、酒量はそこいらで鍛えられましたが、本当の意味でお酒を教えてもらったのはアルタの裏に今もあるイーグルというお店です。

サントリーバーで津川興業というところがやっているんですが、バブル当時に7店舗ぐらいあったと記憶していますが、今はイーグルに昴と池袋のエルメスワインバーのみのようです。

サントリーバーというと中野や銀座のブリックスでしょうが、こちらはもう少し重厚な感じで店名も正確にはサントリーラウンジ イーグルです。

ここではお名前は失念してしまいましたが(高野さんとおっしゃる方だったような記憶が微かに)((>д<))、25,6歳のバーテンダーさんにウィスキーからカクテルの飲み方を教わりました。

歌舞伎町でブレードランナーを見た帰りに、デッカードやレイチェルをイメージしてカクテルを作ってもらった記憶があります。炎のランナーもやったな(*゚ー゚)ゞ

お分かりになる方は判るのでしょうが、当時SF特にバンゲリスの音楽にも凝っており、普通に店内に掛かっているジャズを掻き壊して、自身の頭の中でブレードランナーや炎のランナーを演奏しながら、カクテルを飲むと言うスタイルが確立してました。(当時はウォークマンなどが出たばかりでiPodなどというものは世に出ていなかったわけです)先日peterbaumannさんの記事にコメントした訳ですが、シュールなデルヴィルの表紙が素敵なBaummanさんのページはこちらそんなものなくても好きなLPなどは暗唱ならずも自己の頭の中で自由に再生できたものです。


~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~♪♪♪♪~


閑話休題


その後、新宿勤務を経て大阪に転勤になった時は、自宅にスピリッツとリキュールを買い込みカクテルブック片手にいろいろ作って楽しみました。

シャトリューズ(特に緑)やヴェネディクティンなど手に入りにくくまた、高価でしたので、一月に一本ずつ買い揃えていったのが懐かしい。ヘ(゚∀゚*)ノ

ただ、まだその頃はサントリーやニッカといった国産ウイスキーが主体で、輸入物と言えばI.W.Harperやワイルドターキーといったバーボンが流行で、スコッチのモルトなどと言うものは口に入るべくもなく、そのようなお楽しみはもっと後に開花していくのでした。

最近ようやくアラフォーも卒業し、銀座で一人でのみに行くのがどうにか様になってきたと勘違いしており、銀座の老舗バーと新橋の立ち飲みを梯子したりなぞしております。

比較的新しいのが日本酒の世界です。

今を遡ること5年前ほどに日本酒に再度覚醒させられて、今まで一貫して飲み続けております。

お酒の世界は趣味の世界ですからあれですが、日本料理と日本酒って切っても切れない関係にあり、今も新進気鋭の蔵などは絶えずチェックして目を光らせております。詳しくはこちらの記事

そんなこんなで今日もどこに飲みに行こうか悩んでいる呑んだくれな訳です。


ペタしてね