「三日坊主、OK。」

とにかくなんでも思いつくこと、突き動かされることを片っ端からやってみる。計画なんて不要。


「いずれやる」

こういうことを言うヤツは、現在の自分に責任を持っていない。


「昔はこうだった」

今の自分に責任が持てないから懐古的になることで、現実逃避する。

今、真っ只中にいる「辛い現在」が終わって過去になってしまうと、やっと解放されて安心できるから、懐かしむ余裕ができる。


「プライドを見せる」

他人に基準を置いて自分を考えているから、自分に対してのプライドではなく、比較対象は全て他者である。

自分が生きている手応えを持つことがプライドであり、相対的なものでなく、絶対感を持つことが本来のプライドだと。だから、実際、プライドは完全に自分に向けたものでしかなく、他者がどう思おうが、どう自分を評価しようがどうでもいいはず。要は、比較の対象は自分自身であり、自分が最大の味方であり、敵であると。


「エゴイストのみが幸福を感じる。」

他者の痛みを少しでも感じる想像力があれば、自身の幸福を感じるということはあり得ない。

自分だけのことを考えるエゴイスト以外、幸せを感じられるはずがない、というのが彼の哲学である。


「成功は失敗のもと」

人間は必ずしも成功することが喜びであり大事なのではない。闘って後に崩れる、その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある、と。


こんなバイブル、今までアタシは読んだことがなかった。

しかも、恋の仕方まで!!

なんとも粋な恋の話までが書かれていて、人生丸ごと、これがバイブルになってしまう笑笑


この人は、こんなにすごいヒトだったのか。


天才アーティストの前に、驚くべき哲学者でもあったのだ。


子どもの頃、

「芸術は爆発だ!」と、小刻みに震えながら、その小柄な体から(本当に小柄だったかどうかは知らないが、勝手に小柄だと思っていた)妙なエネルギーをほとばしらせていた、へんちくりんなオジさんのコマーシャル。


1981年のmaxellのコマーシャルだ。


もちろん、太陽の塔の作者であることは知っていたけれど、芸術にも何にも興味のないティーンのアタシには、「なにやらケッタイなパワーの漲ったおじさん」でしかなかった。

それが、今この歳になって彼のフィロソフィーを改めて読んだとき、このなんとも言えない心の震えは、何なのだろうか。


なんという「ヒト」なんだろう。


「自分は不幸だ」と嘆いてるかと思えば、くだらないことで妙な自信をつけたり、上がったり下がったり、毎日ことあるごとに文句を言ってるアタシは、プライドもパッションも何もない、道端の草にも劣る、ただのエゴイストだったんだな。


アタシは、自分の人生において相当の時間を無駄にしてきた。

人生のターニングポイントなんてとうの昔に過ぎて、これから何が残せるのか。

こんなこと言ってるから、やっぱりダメ人間なんだな笑笑


これから、思いつきで跳ねてみよう。

ピョンピョン爆笑