「暗黙知」
経験的に使っている知識だが簡単に言葉で説明できない知識のことで、経験知と身体知の中に含まれている概念。
例えば微細な音の聞き分け方、覚えた顔を見分ける時に何をしているかなど。マイケル・ポランニーが命名。経験知とも。
(Wikipediaより)
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ねあ 「暗黙知」(2019)
■中段
■全体
■展示
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なぜそれを、「知らない」といえるのか。
「見たことがない」といえるのか。
ひるがえって
私が、シャッターを切って、つくる、今初めて見たはずの -この、画- を、
わたしはどうして、知っていると感じられるのだろうか。
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今回の写真づくりをしている時期、
ぼんやり家の中を歩いていてふと頭に浮かんだ「暗黙知」という単語について、
私は明確な記憶を持っていなかった。
どこかで聞いた、というような心当たりもなかった。
でも、知っているという確信だけが、驚きや感動とともにあった。
自分の書く言葉や撮る写真について、
いつも、どこかから勝手にやってきては降ってくる感覚がある。
言葉自身が続く言葉を探し出し、画自身が自らに相応しい画を求めるその過程は、
まさに自動筆記のようだ。
どんな文章ができるのか、どんな写真になるのか、私は知らない。
どんな文章にしたいのか、どんな写真にしたいのか、私はわからない。
だからいつもメッセージはなく、説明に戸惑う。
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普段の生活の中で認識している「私と世界」の裏側に、ぴったり張り付いて潜んでいる視えない世界。
何も語らず、何も見せてくれないそれらが増殖し、浸食し、
喰い潰すように、私の姿を見えないようにしてくれる。
こちらこそが自分自身なのだ、とでもいうかのように、わたしが力を取り戻していく。