マルク・シャガール 「街の上で」(1917年)(トレチャコフ美術館)
影おくりが好きだった。
空に浮かぶ“自分の”影を見てると、ここにいる自分の存在が強烈に実感できた。
もし私が子どもを身ごもったとしたら。
胎内にいる間は異質の存在であるそれが、
いざ外に吐き出された途端、自分から分離した途端、
自分とイコールの分身のように感じるのか......しらん。
なんていう想像。
※
もうひとつ、別の想像を。文字通りの、空-想を。
私から離れて空に浮かぶそれこそが、実感としてのわたしにほかならないのでは?
鳥山明 「ドラゴンボール」
(いや、なんか、ほら、先のシャガールの絵と似てるなとも思ってね)
体ひとつで空を飛んでみたくて、それは本当に叶えられるんじゃないかと思って、
子どもの頃、練習???????したこともあった。
夜に見た空を飛ぶ夢は、現実以上にリアルだったから。
※
体があるからやりたいことが叶えられて、生きている実感が持てる。
なんて、どんな冗談だよと思ってる。
(まあ私、大病したことがないから言えるのかもね。)
体はわたしの上昇していく意識を遮る制限であり、地上を引きずり回す抑圧でしかない。
どこまでもわたしにまとわりついてくる肉の存在の圧迫感。
息苦しくて、むせ返るよう。
スポーツも移動も労働も、体を動かすことはすべて、
鈍重な塊を手渡されて運ばされる使役のようだと......わりとホントに感じている。
体があるせいでわたしに届かない、どこにも行けない、
なのにそこで生きていかなければいけないという拗ねた思いが、ずっとある。
※
ヨガをやってた時期があるけどそういえばあれは、
大いなる存在と自我の合一を目指すもので、わたしは、
肉体と意識を結ぶことだと感じながらやっていた。
またやったが方がいいかもねと思いつつ、
この現実(体という他者)を自分に統合することにどこか抵抗したい気持ちもあって、
ふわふわふわふわ生きている。