マルク・シャガール 「街の上で」(1917年)(トレチャコフ美術館)

 

 

影おくりが好きだった。

空に浮かぶ“自分の”影を見てると、ここにいる自分の存在が強烈に実感できた。

 

もし私が子どもを身ごもったとしたら。

胎内にいる間は異質の存在であるそれが、

いざ外に吐き出された途端、自分から分離した途端、

自分とイコールの分身のように感じるのか......しらん。

なんていう想像。

 

 

もうひとつ、別の想像を。文字通りの、空-想を。

私から離れて空に浮かぶそれこそが、実感としてのわたしにほかならないのでは?

 

鳥山明 「ドラゴンボール」

 

(いや、なんか、ほら、先のシャガールの絵と似てるなとも思ってね)

 

体ひとつで空を飛んでみたくて、それは本当に叶えられるんじゃないかと思って、

子どもの頃、練習???????したこともあった。

夜に見た空を飛ぶ夢は、現実以上にリアルだったから。

 

 

体があるからやりたいことが叶えられて、生きている実感が持てる。

なんて、どんな冗談だよと思ってる。

(まあ私、大病したことがないから言えるのかもね。)

体はわたしの上昇していく意識を遮る制限であり、地上を引きずり回す抑圧でしかない。

どこまでもわたしにまとわりついてくる肉の存在の圧迫感。

息苦しくて、むせ返るよう。

 

スポーツも移動も労働も、体を動かすことはすべて、

鈍重な塊を手渡されて運ばされる使役のようだと......わりとホントに感じている。

体があるせいでわたしに届かない、どこにも行けない、

なのにそこで生きていかなければいけないという拗ねた思いが、ずっとある。

 

 

ヨガをやってた時期があるけどそういえばあれは、

大いなる存在と自我の合一を目指すもので、わたしは、

肉体と意識を結ぶことだと感じながらやっていた。

 

またやったが方がいいかもねと思いつつ、

この現実(体という他者)を自分に統合することにどこか抵抗したい気持ちもあって、

ふわふわふわふわ生きている。