幻影肢 | セルロイド保管庫

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柔らかな盾の中で

 

松井冬子「松井冬子 2」(2008年・河出書房新社)

(画集より、キャプション表示のみ)

 

 

痛みを拒否すると、全身の感度がどんどん落ちていくんだな(私は)、と思った。

 

幻肢痛という症状?があるというのを初めて知った時、

患者さんには大変申し訳ないけど、感動と興奮を覚えた。

痛みは外側からやってくるものでもなく、

また、一応自分のものだと思ってる身体で発生しているものでもなく、

自分そのものなんだ。きっと。

 

わたくしたまに、首から肩にかけて起き上がってられないくらい痛むことがあってですね、

横になって、「この痛みはわたしだ......(必死)」なんて苦し紛れに思ってみると、感じてみると、

痛みが拡散していって和らいでいくような気になるのです。よ。

痛いと感じてる誰か(=ねあ)が、いなくなる感じ。

もっとも、私の痛みのレベルなんてたかがしれてるんだけど、

そういうことってあると思うんだよね。

 

自傷をやめてだいぶ経つけど、そういう欲がまったくなくなったわけでもない。

やってた理由を挙げようと思えばいろいろあるけど、そのひとつは、

自分で与えた痛みだと、自分自身が痛みそのものなんだと、実感したかったのかなとも思う。

焼け付くようにあっつくて、縛り付けられているような濃い痛みだった。

 

そうやって、自己満足の範囲内で感覚だけになろうとする行為。

それは、私にとっては、

信頼しあい愛しあう穏やかで幸福なこの現実の、

この身体があって私がいてあなたがいて進んでいくこの現実の、

その白々しさや嘘っぽさの、受け入れ拒否なんだと思う。

 

 

なぜ幻肢を持つ患者が、それを動かせないことで痛みを感じるのか。

感じなければならない理由が、あるのではないか。

それは非常に理性的で、現実的な反応なのではないのだろうか。

 

あなたの身体が本当に本当に本当に在るのだ、と、あなた以外の誰が証明してくれるのか。