善悪その他諸々の判断(=解釈)って、
創られた物語(=解釈)によって導かれてるだけで、
事象そのものはひたすら空洞。
でも登場人物は、何もない処には文字通り存在出来ない。
単語が事象だとしたら、それを繋ぐ助詞だとかが勝手に流れ紡ぎ出して、
文章が進んでいく。
言葉を運んでいく。
物語っていく。
外側からそれを語っている者はどこにもいない。
物語で傷付いたとしたら、それを癒やすのもまた物語、とはよく聞かれるお話。
己の善悪が独断でしかないと知る事が出来るだけでも、
小説読むのも無意味ではないかと。物語の中では。
創られた物語(=解釈)によって導かれてるだけで、
事象そのものはひたすら空洞。
でも登場人物は、何もない処には文字通り存在出来ない。
単語が事象だとしたら、それを繋ぐ助詞だとかが勝手に流れ紡ぎ出して、
文章が進んでいく。
言葉を運んでいく。
物語っていく。
外側からそれを語っている者はどこにもいない。
物語で傷付いたとしたら、それを癒やすのもまた物語、とはよく聞かれるお話。
己の善悪が独断でしかないと知る事が出来るだけでも、
小説読むのも無意味ではないかと。物語の中では。