バニラ日誌

バニラ日誌

平成24年4月から平成25年7月まで、近畿大学通信教育部で図書館司書資格を勉強し、修得するまでをつづったブログです。さらに、その後小学校図書館司書の臨時職員としてのこともつづります。さらに、その後認知症介助士の勉強と認知症の母について書いています。

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第一項
高齢社会を支えていくにあたり、認知症である人々が安心して街中に出てきていただける環境、すなわち認知症の人を受け入れ、寄り添える環境をつくること。

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日本は2007年に世界に先駆けて、超高齢社会に突入しました。(65歳以上の高齢者が占める割合が人口の21%を超えた社会)

そしてこの割合はしばらく変わることはないでしょう。

しかし、現在の高齢者の社会的ポジションは社会の隅に追いやられてはいないでしょうか?

このような年齢による差別を、エイジズムと言います。

人間は生きていれば誰でも歳をとっていきます。認知症の最大の危険因子は「加齢」です。

超高齢社会で生きる私たちの誰もが、認知症になる確率があるのです。


夫婦共働きが当たり前になってきた現在、子育ては夫婦だけでなく、地域や社会で支えていくことだという認識になってきました。

高齢者の福祉も、同居の家族だけのものではなく地域や社会で支えていくことが、これからの社会では必要不可欠です。

そのためには、認知症を知り彼らを受け入れる知識を持つ必要があるのです。

夕方に電話をかけた。
風邪もひかず元気でいるという。
スポーツジムには行けてないと自分で話していた。
今日は日曜日だから、明日月曜日に行って来れたら行こうと思うと言っていた。
今日は曜日感覚がとてもはっきりしている。
水曜日はお友達と落語の講演会に行く予定では?と聞くと、そうそうと言っていた。母の認知症を理解して、外へ連れて行ってくれるお友達がいることに感謝。

今日も、家の片付けが出来ないと自分に何かあったとき娘のあなたたちに迷惑をかける、ということと、ひとり暮らしの生活が億劫になってきたということ、母の母(私の祖母)が施設に入ったのは何歳の時だったのかしら?という話をしていた。

この話題は、特に多い繰り返し聞く話です。

毎回同じ返事をしますが、母は覚えていないようです。

きっと一番不安に感じている事なのでしょう。

とりあえずは、不安な気持ちが薄れるように、多少嘘でも、心配ないということを伝えている。

孫の年齢は覚えていないが、みんな中学生になったよと言うと、じゃあ今度は受験だね。と言っていた。まだこういう普通の会話もできる。

来年の3月になって、受験が終わったら孫たちみんなで集まって合格祝いと母の喜寿のお祝いをしたいね、と言って電話を切った。

3年前に、実母が首にある動脈の詰まりを良くする手術を受けました。放っておくといつ血管が詰まったり、破裂してもおかしくはない状態だったそうです。
幸いにも手術は無事終わり、ホッとしていたのですが、この後から母の様子がおかしいと思うようになって来たのでした。

母は今実家で一人暮らしをしています。私も含めて娘二人は遠くに住んでいて、会うのは年に一度あるかないか。電話もしょっ中とは言えなくて、用があればお互い電話するくらいでした。

術後も良好で、電話ではいつも通りだったのですが、半年後の検査入院の時に実家に行くと、家の中がひどく散らかっていて、母は無気力になっていたのです。
何もする気がしないと言って一日中テレビの前に座ってボーッとしているようです。料理はせずに、スーパーでお惣菜を買って食べ、流しにはカップラーメンの容器が重なっていました。
同じ話を何度もして、自分がどうしたいということをうまく説明できない、考えられないようで、ため息ばかりついていました。

私はまず、実家の近くの地域包括支援センターに電話をし、母が認知症かもしれないということを相談しました。職員の方はとても親身に話を聞いてくださり、もし心配なら一度ケアマネさんが面談しに行くので、いつでも連絡してくださいという事で電話を切りました。

私は姉に連絡をして、実家で母の様子を見てもらうために地域包括支援センターの方との話をし、姉もケアマネさんに来ていただこうというので、後日私と姉と実家で、ケアマネさんと母の面談に参加しました。