つい先日まで元気だった人が
もう2度と会えない人になる。
そう、ワンコも人間も。
10年近く
暑い夏の日も
寒い冬の日も
仲良しおじいちゃん2人組は
毎日そこに居た。
挨拶くらいは交わしたが
話をするようになったのは
つい4〜5年ほど前の事。
毎日毎朝、同じ顔触れのお散歩道。
おじいちゃん2人組は
時間を合わせているのか
椅子になる押し車を押しながら
毎朝朝8時頃から土手に来て
1時間ほど過ごしていた。
時間が経つと
押し車を押しながら
ゆっくり、ゆっくりとした足取りで
各々の自宅に帰って行った。
おじいちゃんがどちらかか1人しか居ない日は
「ケンカでもしたのかしら?」と
私は要らぬ心配をし
(多分どちらかが病院だったりしただけなんだろうけれど)
2人揃って居るのを見ると
(勝手に)ホッとする、と言う感じだった。
いい年をして
ケンカなんてする訳もないのにね。
私が話すようになったのは
もちろん
るーたんの人懐っこさゆえだったが
バニラがリードを咥えて歩くのを
「賢い賢い」と撫でてくれたり
るーたんが馬尾の手術でしばらく会えず
1か月ぶりに会った時には
「あんた治ってよかったねぇ」と
るーたんのお散歩復帰を喜んでくれて
2人揃って笑顔で撫でてくれた。
「この犬種は懐っこくて可愛いねぇ」
るーたんの尻尾ブンブンご挨拶にも
「尾っぽがすごいねぇ。笑」
と、バニルーをとても可愛いがってくれていた。
3月のある日
数日間
おじいちゃんが1人しか居なかった。
1日、2日ならまだしも
何日も別々と言う事が無かったので
また要らぬ心配をし
「今日はお1人ですか?」と聞いた。
おじいちゃんは
「あの人、こないだ階段から落ちて肩を骨折しちゃってね、、入院したんだよ」
と教えてくれた。
骨折、、、、。
お年寄りの骨折は命取りなんだよなぁ…
心配だなぁ…。
けど、足じゃないから
最悪歩けるから大丈夫かなぁ…
と、思いながら
「寂しいから早く治るといいですね。」
と言い、少しの世間話をし
もう1人のおじいちゃんと別れた。
それから約2か月。
緊急事態宣言後は
もう1人のおじいちゃんも見かけなくなった。
でも、
コロナになるといけないから
土手に来るのを控えているのかな?
とか
私のお散歩の時間が遅いから会えないのかな?
と思い
心配しつつも
会えない理由を都合の良いように
考えていた。
そして昨日
おじいちゃんに
久しぶりに会いました。
おじいちゃんは
ひとりぼっちで
椅子になる押し車に座っていました。
わたしは元気よく挨拶をし
「もう1人のおじいちゃんの具合はどうですか?
骨折、少し良くなりましたか?」と聞いた。
おじいちゃんは
「あの人、亡くなっちゃったんだ」と
ポツリと言いました。
骨折後、一度は退院したものの
体調を崩し、あれよあれよと言うまに、と。
寂しいね、とおじいちゃんは言った。
お2人とも88歳のおじいちゃん、
自分もそろそろ
そんな歳なのは分かっているけれど
友達がどんどん亡くなっていくのは
やっぱり寂しい、と力なく言った。
…かける言葉が見つからない。
私はいつもそうだ、
そんな時に
気の利いた言葉一つ言えないのだ。
骨折をしたおじいちゃんが
1か月前に亡くなっていた事、
コロナの影響で
お見舞いに行けなかった事など
おじいちゃんは私に話した。
寂しいけど
毎日歩かないと
歩けなくなっちゃうから土手に来ている、と
本当に本当に
寂しそうに悲しそうに語った。
私も悲しくなり胸が詰まった。
元気だしてね、と言うのが
精一杯だった。
どうか
残されたおじいちゃんが
少しでも元気になりますように。
るーたんとバニラ、協力してね。
私がお散歩で話すおじいちゃん達は
5〜6人居る。
みんな、
バニラとるーたんが居たからこそ
話すようになったおじいちゃん達だ。
バニラとるーたんが居なければ
土手を散歩する事も無かったし
おじいちゃん達に声を掛けられる事もなかった。
亡くなったおじいちゃんの笑顔と
残されたおじいちゃんの寂しそうな顔が
頭から離れなくて
本当に悲しい気持ちになる。
日課だったるーたん。
優しくしてくださってありがとう。
名前も住所も知らないおじいちゃん。
おじいちゃんの御冥福を心より
お祈り致します。