Welcome to wonder garden口笛

迷惑ウサギの妄想小説
拙い文章ですので
ぬる〜いお目々で許してくださいッッ

大好きな叔父さんの為‼︎
復讐に燃える
気弱な妖精ネフくん
綿密に立てた計画が...
まさかの復讐相手が既にお亡くなりに⁈
いやいや、
まだ希望はありま〜すよ?
ちっさな妖精の復讐劇の続きです✴︎




 早朝、ゲレはせっせとゴミをまとめる。この日の朝食は老紳士の好物であるヴァイスヴルストという白ソーセージをたくさん茹でたせいで、あちこちから漂うビールの匂いにゲレは眉を潜めた。
 ドイツでは白ソーセージは昼前に食べる習慣があり、決まってビールと一緒に出される。パリッと焼かれたソーセージとは違い、柔らかいこのソーセージは小さな鍋にお湯を張りそのまま茹でた状態で食卓に出されるのが普通だった。
 高齢になった老紳士はこうした柔らかい物を好む様になり、ペースト状のパンに塗るソーセージを所望する。お酒の量も増え、ビールを飲むために白ソーセージを食べたいと言っているのではないか、とゲレは疑っていた。
 お酒が増えた理由にゲレは心当たりがあるのだ。
 心の優しい老紳士はゲレが結婚を拒む理由が自分にある、と分かっている。ゲレを解放する為に死期を早めようと、ゲレに気づかれないように不摂生にしている事に薄々ゲレは勘付いていた。
 ゲレは老紳士にできるだけ長く生きていて欲しい、と願っている。自分と同じようにこの屋敷で住み込みで働いてくれるような夫を無理にでも探すべきかどうか悩み始めていた。
 しかし、そうそう理解のある男が現れるわけもなくゲレは溜息を吐かずにはいられない。老紳士を傷つけるような無作法者も論外だった。
 この屋敷に漂う優しい空気をゲレは壊したくない。同じように暖かい人間、となるとそう簡単には見つからないのだ。
 元々のドイツの習慣を諫めるわけにもいかず、硬い物を食べられなくなった老紳士に白ソーセージを食べるな、とも言えない。ゲレはずっと頭を悩ませていた。
 まとめたゴミを抱え、暗い気持ちで屋敷を出る。すると、ゴミを置いたときにはなかったはずの物がふと視界に入った。
 柔らかな白樺の皮からほんのりと爽やかな森の香りが漂っている。ゲレは不振に思い、赤い蔦で巻かれたその巻物を手に取った。
「中身を確認した方が良いかしら」
 ゲレは好奇心に駆られ、するすると蔦を解き、白樺の皮を広げる。そこにはやっと見える小さな文字でゲレの名前が書かれていた。
 驚いたゲレはその手紙を握り締め、慌てて屋敷へと戻って行った。
 いつも冷静なゲレが息を切らし、愛らしい薔薇色の頬をさらに蒸気させ、興奮したように目を輝かせている。その姿を見た老紳士は驚いたように声をかけた。
「ゲレ、どうしたんだい?」
 優しく両手を広げ、ゆったりと優しい声音で老紳士が尋ねる。
 ゲレは老紳士の手に、自分が握りしめていた手紙を渡した。ゲレは幼い頃、老紳士に拾われてからずっと屋敷で働いている。せめて自分の名前くらいは、と親切な老紳士が教えてくれたが、他の文字をゲレは読む事が出来なかった。
「これが、突然現れたの。不思議な事ですけれど、私の名前が書いてあるわ」
 ゲレは乱れた呼吸のまま、途切れ途切れに老紳士に説明をする。心得た、とばかりに老紳士が優しく微笑んだ。
 白樺の巻物をゆっくりと広げ、手紙の内容をゲレに読み聞かせる。
「なるほど。これは妖精が書いたものらしい。この妖精にはもうすぐ子供が生まれるのだが、特別な名前を与えたいと考えているようだ。そこで同じ妖精ではなく、人間の頭の良い者にお願いしたいが、この妖精は働き者のゲレを大変気に入ったらしい。ぜひお前に頼みたい、と書いてある」
 嬉しそうに老紳士が微笑んだ。
「私の可愛い娘を見込むなんて、この妖精もなかなか見所があるじゃないか」
 老紳士はそのまま「ゲレに一緒に妖精の国へ来て欲しい、と言っているよ」と付け加えた。
 始めは大きな瞳をきらきらと輝かせて聞いていたゲレだったが、最後の言葉に顔を曇らせる。
「それは出来ないわ。私はお屋敷から離れるつもりはないもの」
 すると、老紳士はゲレの両肩に手を置き、真摯にその大きな瞳を覗き込んだ。
「ゲレ、いいかい。小さな命の誕生とはとても素晴らしいものだ。私は臆病だったばかりに妻も子も得られなかった。だが、ゲレ。君に出会う事が出来た。お前が本当に私の娘だったら、と思わなかった日はない。その顔の傷も、始めから私の娘だったなら絶対に負うことはなかった。この妖精の子供も皆に祝福されるべきなのだよ。そこにお前が力添えできるならそんな素晴らしい事はない。力になってあげなさい」
 ゲレは老紳士の言葉に目を潤ませながら頷く。老紳士にそう思ってもらえていた事がとても嬉しかったのだ。ゲレ自身も、老紳士を父、と呼べたらと思わなかった日はなかった。
 この優しい養父の娘に恥じないよう、その言葉に従おうと決心し、この妖精と共に行く、と老紳士に答えた。
「手紙には明日の朝、松の木の下で待っている。と書かれている。あの松の森の事だろう」
 ゲレは大きく頷き、すぐに用事を済ませ戻って来ると老紳士に告げた。自分が戻るまで身体に気をつけなければならないと訴える。
 老紳士は微笑み、ゲレの頭を撫でた。
 
 
 翌朝、ゲレは簡単に荷物をまとめると松の森へと向かった。老紳士の気持ちに応えなければ、と自然と顔が引き締まる。
 生まれてくる子供は男の子だろうか、女の子だろうか。妖精の常識を知らない自分がきちんと満足をして貰える名前を付けられるだろうか。不安な気持ちを押さえ込み、ゲレは首を振る。
 きっと満足のいく素晴らしい名前を考えよう、心に決め堂々とした足取りで約束の場所へと向かった。
 一方、松の森ではネフが不安気に松の枝に腰掛けていた。手紙は満足のいく出来栄えだったが、人間はちゃんと来るのだろうか。もし娘だけではなく他の者まで付いてきてしまったら、と考えると自分の計画が間違いなかったのか不安が押し寄せる。
 ネフは小さく身震いし、右手を握り締めた。拳をゆっくりと空に掲げて「最高のハインツェルマン」と呟く。
 目を閉じると憧れていた大好きな叔父達の顔が浮かぶ。ネフは二人の叔父に認められたのだ。弱気になってはいけない。
 再び目を開き、真っ直ぐに町へと続く道に視線を移す。すると、今のネフと同じように何か思い詰めたような表情のゲレの姿が見えた。
 ネフは生唾をゴクリ、と飲み込んだ。
 チャンスは一度きりなのだ。人間の国に来たハインツェルマンには必ず守らなければならない決まり事がある。それは、人間に姿を見られてはいけない、というものだ。
 どんなに素晴らしいハインツェルマンでも人間に姿を見られてしまっては罰を受けなければならない。その罰とは人間の国へ行ける通行許可証の剥奪だった。
 これは一人前のハインツェルマンという認定証でもあり、一度剥奪されると十年はこの資格を得る事ができない。
 今からゲレの目の前に姿を現した時点でネフはこの資格を失い、二度と人間の国へ来る事は叶わない。ここでゲレを連れて行く事が出来なければ全ての計画が水の泡になり、復讐も叶わない。
 ネフが一番恐れるのは手ぶらで帰った自分を見て叔父達が落胆する姿だ。せっかく二人に認められた今、やはりネフでは駄目だったかと思われるのだけは耐えがたい。
 松の木をもう一度見据え、枝に溜まった今にも落ちそうな雨粒を確認する。松の木からは薄らと黒い靄が漂い、ムルラウの気配を感じた。ネフの計画は完璧だった。
 ゲレが真剣な面持ちで松の木の下に立つ。ネフは意を決して、ゲレの元へと飛び降りた。
「きゃっ」
 目の前に小さな黒い影が飛び込み、ゲレは驚いて思わず声を上げた。
 ゆっくりと影を見つめると、人差し指の先程の大きさをした小さな生き物がこちらを見ている。その姿は小さいながらも人の姿をしていた。手紙を書いた妖精に違いなかった。
「はじめまして。急にお呼び立てしてしまい申し訳ございません。僕は手紙を書いたネフという者です」
 丁寧に挨拶をされ、ゲレは安堵した。気の弱そうな眉尻の下がった顔からは凶暴な印象は感じられず、人の良さそうな雰囲気を持っていた。どこか老紳士に通ずるものを感じ、ゲレは微笑む。
「はじめまして。ネフさんの国へ私を連れて行ってくださる?」
 ゲレも丁寧に答えた。それを聞いて強張っていたネフの顔が緩む。
「勿論です。さぁ、この木の下へ来てください」
 ネフが丁寧に手招きをして場所を指し示す。
 小さな声で「ムルラウ」とネフが呟くと答えるように黒い靄が周囲を漂った。ゲレは急に眠気を覚え、崩れるようにその場に座り込む。
 暫くして、ポタッと首筋に冷たいものを感じた。松の木から落ちた雨粒だった。
 そこから、ゲレの意識は遠のき深い闇へと落ちて行った。
 ネフはそっとゲレの膝に飛び乗り、ムルラウが動き出すのを待ち続ける。ゆっくりと二人を靄が包み込み、ネフの視界が突如グラリと揺れた。ムルラウが動いたのだ。
「我を恐れぬハインツェルマン、今からお前の望みを叶えよう」
 低いムルラウの声が響き、二人は黒い靄の中へと消えて行った。
 
 
 目が覚めたゲレが最初に見たものは可愛らしい小さな桃色の屋根の家だった。ゆっくりと周りを見渡すと見たこともないオレンジや水色の色とりどりの葉を茂らせた木に囲まれていた。
「ここが妖精の国?」
 ゲレは呟いた。モゾモゾと膝の上で何かが動く気配を感じ、慌てて確かめる。小さな人がゲレの膝の上で、ゲレのスカートの飾りボタンに絡まった髭を外そうと踠いているのが目に映る。クスッとゲレは小さく笑い、ゆっくりとボタンから髭を外してやった。
 恥ずかしそうに顔を赤らめた小さな妖精は先程出会ったばかりのネフだった。ゲレの指程の小さな妖精はとても可愛らしく見える。
「やぁ、助かりました。ゲレさん、私の家はすぐそこです。どうぞ一緒に来て下さい」
 ピョン、とネフは飛び跳ねてゲレの膝から地面へと降り立つ。小さなネフを見失わないよう、ゲレも慎重に歩を進めた。
「あら、あなた。お帰りなさい」
 ネフとそう大きさの変わらない女性が優しく微笑んでいる。ゲレはその姿にほっと胸を撫で下ろした。きっと彼女がネフの妻なのだろう、と見当を付けた。何しろ彼女の腹ははち切れそうなほど大きく膨らんでいたからだ。
「あぁ、お前。無理をしてはいけないよ。どうか家の中で休んでいておくれ」
 心配そうに駆け寄るネフの姿を見てゲレは微笑んだ。とても仲の良い夫婦だ。此処に来て良かった、とゲレは思い暖かい気持ちになる。
「あなた、後ろの方は?」
 ネフは妻の言葉に慌てる。元々、叔父の復讐相手を連れてくるつもりだったのだ。妻にも夫婦を連れて来る、と話していた。それが若い娘一人連れてきたのでは様子がおかしい。勿論、叔父二人も不審がるに決まっていた。
「彼女はゲレさん、というんだ。初めは僕たちのような仲の良い夫婦を、と思っていたんだけれどそのお孫さんのようなお嬢さんにお願いする事にしたのさ」
 ネフの言葉に頭の良い妻は目配せを返した。ネフはそれに大きく頷く。
「まぁまぁ、それは遠い所ありがとうございました。あなた、先にずっとあなたの帰りを待っていらっしゃる叔父様達にご挨拶なさってくださいな。ゲレさんは私と一緒にお庭をご覧になりませんか?」
 ゲレはぜひ見せて欲しい、と答え、妻の機転に感謝しながらネフは叔父の元へと向かった。
 計画が狂った事を先に伝えなければならない。
 桃色の屋根の家に入ると、叔父のウベルとイエルがちょうどお茶を飲んでいる所だった。
「やぁ、早かったじゃないか。まだ、数時間と経っていないよ」
 ネフの姿を見て嬉しそうにイエルが声をかける。やはり人間の国で経つ時間と妖精の国とでは時間の感覚が異なるようだ。
「イエル叔父さん、大変な事が起きたんです」
 ネフは青い顔のまま、二人の叔父の復讐相手が既に他界していた事を伝えた。黙って聞いていたウベルは重々しく口を開く。
「なんという事だ。復讐するべき相手が既にいなくなっているとは。だが、親がした事は子の責任でもある。だから、そのまた子にも責任が当然あるのだ」
 イエルも大きく頷いた。
「まったくウベルの言う通りさ。ネフのした事は正しい。そのゲレとかいう娘は責任をとらなければならないよ」
 ネフは心の底から安堵した。
 憧れの二人の叔父にそう言われると、自分の判断はとても正しいことのように思える。やはり、この叔父たちは特別なのだ、と改めて実感した。
 三人がヒソヒソと話し合っている頃、ゲレとネフの妻は小さなお庭を散策していた。妖精の国に咲く植物は花だけではなく葉も様々な色をしていて飽きる事がない。
 ゲレは気になるものを一つずつネフの妻に尋ねて回った。
「まぁ、薔薇に見えるけれど色が青だわ。私が知っているのは赤や白、黄色だけよ」
 ゲレが無邪気に感嘆の声を上げる。ネフの妻はニコニコと微笑みながらゲレに丁寧に答えた。
「ゲレさんは博識でいらっしゃるのね。あれは主人が一人前になった証に頂いた青玉の薔薇、と呼ばれるものなのです。花の中心が更に濃くなっているでしょう?あの濃い色が放射線状に六つに伸びて星が浮かび上がると主人の目的が達成されたという証拠になるのですよ」
 ネフの妻が言った通り、青い薔薇の中心が更に深い藍色に染まっている。ゲレは不思議に思った。
「ネフさんの目的って何かしら?」
 これにネフの妻は穏やかに応じる。
「さぁ?主人は私に教えてくれませんから。でも、きっとこのお腹の子が無事に生まれて名前がつけられた時、星が浮かび上がると私は思っていますの」
 ゲレもきっとその通りだ、と微笑んだ。好奇心に駆られるまま、ゲレは妖精の国に目を奪われ楽しい時を過ごした。
「そういえば奥さん、お腹の子はいつ生まれるのかしら?」
 お庭で随分と時が経ち、ふと気になったゲレは尋ねた。ネフの妻はおっとりと頬に手を当て首を傾げる。
「そうですね、もう生まれてもおかしくない時分なのに少しも痒くないわ」
 この言葉にゲレは驚く。
「痒い?痛いのではなくて?」
 これにネフの妻は声を上げて笑った。
「ゲレさんって面白いことを仰るのね。子供が生まれる時、身体が痒くなるでしょう?そしてお腹がじんわりと熱くなって今度は擽ったくなるの。堪えきれずに笑ってしまうと女の子、笑わずに三十分我慢できたら男の子が生まれるんですよ」
 そんな話をゲレは聞いたことがない。だが、ゲレが知っているのは人間の常識だけだった。
 妖精の国で見る不思議な草花や生き物は存在自体が奇妙としか喩えようがない。ならば今ネフの妻が言った事も妖精にとっては当たり前のことなのかもしれない、と思うことにした。
「奥さんは男の子と女の子、どちらが欲しいのかしら」
 ゲレの質問にネフの妻はやはり笑った。
「そりゃあ男の子に決まっているわ。ハインツェルマンは男の子を産んだらそれだけでもうとても褒められるのですわ」
 なるほど、とゲレは感心する。名付け親になるのだから、やはり妖精の常識はある程度把握しておいた方が良さそうだった。
 子供が生まれるまでの期間、ゲレは極力この知らない常識を知らなければ、と心に決める。
 そこへネフの妻を呼ぶ声が聞こえた。
 ゲレとネフの妻は顔を見合わせ微笑み合うと、桃色の屋根の家へと向かった。
 家の前まで行くと、ネフと初めて見る二人の妖精が庭にテーブルを運び、ゲレが座れるほどの大きな岩を側に運び終える所だった。
「やぁ、人間のお嬢さん。残念ながらお嬢さんが家の中に入るのは難しいようだ。此処に料理を運ばせて貰っても良いかい?」
 顎髭がまばらに生えた妖精がゲレに尋ねた。
「勿論よ」
 ゲレが答え、用意された岩に腰を下ろす。運ばれてきた料理はどれも初めて見る物ばかりでゲレは目を丸くした。
 大皿に乗った夕焼け色の大きな花の周りに、ピンクやオレンジの葉が飾られている。サラダだと言われれば納得できるものの、どう見てもその花はダリアのように見える。
 さらに小さなボウルに入れられた鈴蘭のような可愛らしいベルの形をした薄青色の花は刻んだハーブが振りかけられ、料理というよりも花飾りやポプリにしか見えなかった。
 四匹の妖精たちは気にする様子もなく、それぞれのお皿に器用に花を取り分けていく。ネフの妻がゲレの分も取り皿に盛り付けて手渡してくれた。
 ここで口にしなければ失礼に当たるかもしれない。ゲレは意を決して夕焼け色の花弁を口に含んだ。予想に反してその花は口に入れた途端、香ばしい肉汁が溢れるような濃厚な味がしたかと思うとすぐに舌の上で溶けてしまった。
「美味しい」
 思わずゲレはそう呟いてしまう。それを聞いて嬉しそうにまばら髭の妖精が誇らしげに胸を張った。
「それは良かった。朝からドラゴンの谷に行って正解だったな」
 すると隣で赤茶色の瞳をした妖精が頷く。
「そうとも。ウベルの言う通りさ。ドラゴンの火を避けるのは大変だったが行って正解だったよ」
 ゲレはドラゴンの谷を知らなかったし、二人の言っている意味が分からなかったがこれも妖精の国では常識なのかもしれない、と思い黙って聞いていた。
「ゲレさん、ドラゴンの吐く火を浴びると花は炎と同じ夕焼け色に変わるのですよ。ハインツェルマンにとって、その花はご馳走なのです」
 ゲレが何も知らない事を知っていたネフの妻がこっそりゲレに耳打ちする。ゲレはネフの妻に視線でありがとう、と伝えた。
「そんな危ない所まで行って頂いて、とても光栄だわ」
 ゲレは二人にお礼を告げた。
 双子のようにそっくりな妖精は得意げに鼻を鳴らし、ゲレはその姿にこっそりと笑った。
 楽しく賑やかな食事が終わり、ゲレは寝床へと案内される。丁度、家の裏から五分程歩いた場所に、柔らかな藁を敷き詰めた手作りのベッドが用意されていた。
 ゲレは妖精たちにお礼を言い、ベッドに横たえる。驚く事ばかりでとても疲れていた。すぐに眠りに落ち、眠ったゲレを確認した後、妖精たちも家へと戻って行く。
「どうやら眠ったようだ」
 ウベルが安堵する。
「今のところ逃げ出す気は無さそうだ」
 イエルも頷く。
「明日の朝、早めに迎えに来るようにしますよ」
 ネフが監視役を請け負った。
 ウベルとイエルはすっかり満足し、七色の屋根を持つ、自分たちの家と帰って行く。二人が家から出たのはこれが初めてだ。
 ネフはそこまで叔父二人が期待しているのだ、と思い手に汗を握った。復讐はこれからだった。
 
 
 小鳥の囀りでゲレは目を覚ました。
 眠っている間に悲しい夢でも見たのか、涙が頬を伝っていた。目尻にまだ暖かさを残しているが、どんな夢だったか思い出す事ができない。
 まだ辺りは薄暗く、朝日が顔を出していない。ひんやりとした冷たい風が頬を撫でる。ふと、この風は何処から吹いているのだろう、と周りを見渡した。
 用意されたベッドから北の方角に森が見える。ゲレは起き上がり、誘われるように森へと向かった。
 森の中に入ると冷たい風が空気へと変わり、小さな湖を見つける事ができた。顔を洗うのに丁度良い、とゲレは湖へと近づく。
 すると、触れてもいない湖面に波紋が立ち、ゆらゆらと揺れた。
 驚いたゲレは飛び退き、ゆっくりと目を凝らす。湖面に薄らと淡い光が揺れているように見える。さらに目を凝らすと、淡い光は人の姿へと変わった。
 目の覚めるような美しい女性だった。
「ニンフ」
 湖に住む妖精の名前だ。ゲレも老紳士から幼い頃にニンフの出てくる物語を読み聞かせて貰った事がある。
 ニンフは薄い布を羽織った白い腕をゲレへと伸ばした。
「人間がこの森に迷い込むなんて何十年振りかしら。最近では力を持つ者が減っていたとばかり思っていたのに」
 ゲレはおずおずと差し伸ばされた腕をゆっくりと取り、こうべを垂れた。美しく神々しい妖精の前ですっかり萎縮してしまっていた。
「私は妖精の夫婦の子供に名前をつける為、ここへ来たのです」
 ゲレの説明にニンフの目が鋭く光った。
「いいえ、貴女はもっと違う禍々しい力で此処へ来たはず。貴女には黒い影がまとわりついているわ。気をつけなさい、貴女を連れてきた者は貴女に大きな悲しみを与えるでしょう」
 言い終わるとニンフは再び淡い光となり、空気に溶けてしまった。
 ゲレは惚けたようにその場に座り込む。美しいニンフに言われた言葉が不安に変わり、慌てて立ち上がると元の寝床へと走って行った。
 ベッドの側まで来ると、丁度ネフが迎えに来た所だった。
「ゲレさん、昨夜はよく眠れましたか?」
 人の良さそうなネフの言葉にゲレは狼狽えた。ニンフに言われた言葉が本当なら禍々しい力とはネフの事ではないか、と恐ろしくなる。
 老紳士に拾われるまでのゲレの生活は酷いものだった。見目が良かった分、ゲレは幾らか他の子供たちよりも待遇は良かったが、それでも到底食事とは呼べないものを無理やり口に注ぎ込まれ、家畜のように扱われてきた。
 友人と呼べる者はなく、騙し合い奪い合うのが当たり前の世界だった。中には拐われてきた子供もいたが、殆どはゲレと同じく売られてきた子供たちだ。
 寝床一つでも奪い合うのが当たり前で、同じ境遇とは言えそこに協力や譲り合いなどは存在しない。
 あの日、ゲレが鞭で叩かれる少年の前に立ちはだかったのは少年を助けたい、という思いよりも自分たちをこんな境遇に追いやった大人が許せなかったからだ。
 理不尽な世界に一矢報いたい一心で飛び出した。少年の事はもう顔すら思い出すことはできない。優しい老紳士と穏やかな時間を過ごすうちに、外の世界がどんなに残酷であったかをゲレは忘れていた。
 早く老紳士の元に戻らなければならない、そんな風に思ったが、妖精との約束を守らずに戻ったゲレを見て老紳士は落胆するかもしれない。
「ゲレさん、顔色が良くないようですがもしかしてベッドは寝心地が悪かったのでしょうか」
 ネフが不安そうに尋ねる。ベッドの上に飛び跳ね、その固さを確認し始めた。
 その姿は本当にゲレを心配しているように見える。ゲレは安堵し、疑いを持った心を恥じた。
 そのまま二人はネフの家へと再び向かう。道中、昨日見せて貰った青玉の薔薇が視界に入った。
 気のせいだろうか、昨日よりも深い青が広がり始めているように見えた。
「もしかして、本当にそろそろ生まれるのかしら」
 庭の真ん中にゆり椅子を置き、ネフの妻が腰掛けている。ゲレの姿を見つけて嬉しそうに手を振っていた。
 妻にネフが駆け寄り、心配そうに身体を労っている。
「頼むから家の中で大人しくしておくれ」
 これに妻は首を振る。
「いいえ、せっかくゲレさんに来て頂いたのですもの。女同士ゆっくりとお喋りしたいわ」
 どこから見ても人の良さそうな夫婦だった。ゲレは微笑み、ネフの妻の隣へと腰掛けた。