荒野とは神のみに信頼するための訓練である - 愛するインドネシア人、エディ師の言葉だ


イエス様も私たちと同様に、いや、私たちに模範を示そうと自ら聖霊に導かれて荒野へ向かった。

そして父なる神のみに信頼するための試練を通られた。


悪魔の誘惑(試み)


 ・石をパンにせよ・・・生命を維持するための必要

 ・下に身を投げよ・・・自分のID、身分に対する保障

 ・この世の栄華 ・・・人生の成功


これら3つの領域は人間にとって、とても重要なことだ。しかし、悪魔はこの領域に人々を縛り付け、

固執させ、やがては人間の人生を台無しにしようと狙っているように思う。


人は・・・


 ・生きることしか考えなければ、霊的な必要に目を向けず、決して神や神の心を求めることはないだろう

 ・自分のプライド、尊厳のことしか考えなければ、自己中心的になり、いつも神と人とにつぶやくだろう

 ・この地上において成功することしか考えないなら、神を忘れ、悪魔の支配するシステムに囚われるだろう


悪魔は「あなたが神の子なら・・・」と言って、イエス様が父の心に反して、神の子としての地位を用いて

これらの誘惑を退けるように仕向けた。しかしイエス様は蓄えたみ言葉によって悪魔を退けられた。

まず、敵に立ち向かうためには、霊の糧、聖書のことばを摂取して、蓄えなければいけないと思う。


イエス様の言動から学ぶことは、


 ・み言葉に親しみ、蓄えること

 ・自分の必要を満たすのは、自分ではなく、神である

 ・自分の身の安全、ID、尊厳は神が守られる

 ・人生の成功はこの地上で栄華を極めたかどうかではなく、父の心に忠実であったかどうかである


これらのことが身につくなら、悪魔は逃げ去る。また、これらの試みを退けた直後から彼の宣教が開始

されたことは面白い。つまり、生命を維持するための必要、自分のIDや身分に対する保障、人生の成功

を追い求め、悩み、これらのことに振り回されているうちは、ミニストリーが前進しないということか。


神の働きをなし、自分の使命を果たすために生きたい。


(適用)


 ・自分の必要、保障、成功は自分で満たさなくてもよいこと、神の国とその義とを第一に求めるとき、

  おのずから解決することを思い巡らす。またそれらのために生きる誘惑があれば、み言葉を宣言する。


 ・み言葉を読み、蓄える → 暗唱聖句をする

「このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。」


う~ん、出で立ちもすごいが食料がいなごと野蜜とは・・・ L(゚O゚;)」

よほど日常生活(衣・食・住)のことに興味がなかったのだろうか。そういえば活動拠点も荒野だもの。


そんなバプテスマのヨハネとは


 ・ユダヤ人の王、イエス様の道備え、先遣隊としての使命を受けて生まれた。

 ・生活の心配をまったくしていなかった。(自分の使命を果たすために生きた)

 ・偽善を嫌った(神の義を表した)

 ・自分の役割をよく認識しており、忠実で、謙遜だった。


しかし、人間的な物差しで彼を量ろうとするなら、まったくイイトコなしではないか。なぜって・・・


荒野で叫んで、ロクな飯も食わず、初期の頃こそエルサレム中の人々が彼の元へ押し寄せたが、

次第に弟子や群集はヨハネよりもイエスに付き従うようになっていった。さらに当時の国王を

諌めたために捕らえられて、挙句の果てには首を落とされてしまうのだから。


ところが、実のところ、彼はそんなことは全く意に介していなかった。


「花嫁を迎える者は花婿(キリスト)です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人(ヨハネ)

は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。あの方は

盛んになり、私は衰えなければなりません。」 ヨハネ3:29,30


彼こそ自分の生きる目的を知っており、その目的に従順に従って歩んだ人物だ。彼の教えから

学んだことは


 ・人間的な誇りを誇りとしない。イエス様だけが誇り。

 ・人に見せる(パフォーマンス)ための行ないをしてはいけない。格好つけない

 ・悔い改めの実を結ぶ(行動に変化のない悔い改めは本物ではない)


さて、ついに成人したイエス様が登場するのが今日の箇所。神であるのに、人間の手によって、

しかも罪人が悔い改めて、新しく生きるぞ!というしるしであるバプテスマを受けるというのは、

どんな心境なのだろう。 あっ、答えがあった (^△^;)


「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちに

ふさわしいのです。」 3:15


いくら私たちのお手本だからって・・・ ただただ、脱帽です (_ _; )/~~


(おまけ)

バプテスマのヨハネの授けていたバプテスマとイエス様のバプテスマの違いを考えてみた。

ヨハネのは、罪を悔い改めて、新しく方向転換して再出発という意味合いのバプテスマ。

そして、イエス様のは、聖霊と火のバプテスマだから清い生活を続け、自分自身を清く保ち

続けるってことかな。どっちがより重要かといえば、やはり実際に歩み続けることだろう。


(適用)


 ・自分自身に与えられている使命(生きている目的)を黙想する。

  =人々と神様の関係の回復、家族の温かさ、すばらしさを伝えること、キリストのような人格

    を身に付けること


 ・正しいと思うことを恐れずに積極的に行なう。

おもな登場人物


ヘロデ王


 東方の博士たちから「ユダヤ人の王はどこですか?」と尋ねられて、恐れ惑った。

 自分の王としてのプライド、彼が自分にとって代わるのではないかという恐れ。

 神を恐れない残虐行為。神よりも自分の心配をして、キリストを排除しようとした。


東方の博士たち


 星の出現の時間を知っているなど、かなり前からキリストについて研究していた。

 メシヤを心待ちにしていた。神の語りかけ(夢)に対して従順であった。


ヨセフ(イエス様の父)


 神からの語りかけに対してすぐに応答(行動)した。そのためイエス様が殺されず

 にすんだ。神を畏れたので、神が守りを与えた。


旧約聖書に書かれている預言はすべて成就した。やはり人間の愚かさ、罪は神の

計画になんの影響も与えないのだ。すべては神の主権の中にある。


(適用)


・自分のプライドを守るための行動、言い訳をしない


・神から語られたことをすぐに実行に移す

 → 献金袋を日曜日出し忘れたので、今日箱に投函する

   与えられた預言に従って、家を祈りの家として建てあげるため、家でともに祈る

アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図 。。。。。


     o_ _)oZzz   (o- -)oムクッ   (o;゚▽゚)o ネテシマッタ!


今まで、さぁ、はりきって新約のデボーションを始めるぞっ!()メラメラ 

と意気込んで最初っから難関を迎えていた、この横文字だらけの系図。


しかし、今回ついに聖霊の助けにより、自分の中で大発見があった。(それは後ほど)


さて、我が尊敬するイエス様の家系を見るに、なんとも自慢にならない家系だ。

元売春婦、嫁と肉体関係を持った男、殺人者、偶像崇拝の王様、貧乏人・・・

神の計画は、人間の愚かさや罪などによって左右されることはないのだろう。

神がこうなると宣言されたことは必ず実現するのだ。


また、神はスーパーナチュラルな神だとも実感した。「見よ、処女がみごもっている。

そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」・・・常識的にはないぞ、これ。

ヨセフの内密去らせよう(離縁しよう)という行動は、ベストかと確かに思うもの。一瞬。


しかし、それを告げられたときのヨセフはどのように受け止めたのだろうか。疑い?

恐れ?裏切られた思い?怒り? なかったのかな。常識で考えたら、内密に去らせよう

(離縁しよう)で片付くことではなさそうなのにね。それだけでも十分ヨセフの人となり、

きっと謙遜で思いやりがあり、いつも相手の立場を理解して、憐れみ深い性格が

見てとれる。それに加えて、天使が事の詳細を告げ知らせたとき、従い、結婚前に

身重となった婚約者を迎えるなんて、ホントありえないね。彼から学ぶことは・・・


・相手の気持ち、立場を理解して、憐れみ深く接すること。

・神からの語り掛けに心を開いており、素直で従順であったこと。


さて、系図を見ていて、ふとあることに気が付いた。よく途中で家系が途切れなかったな・・・

多くの人にとっては「そりゃ神の計画であるなら当たり前」と思うのだろう。確かに自分も

そうは思うし、その通りなのだが、そんなつまらない疑問が頭をよぎった瞬間、今まで

何度読んでも分からなかった、このマタイの1章に立ちはだかる家系図の意味、といっても

自分なりの理解であって、神学的に的を得ているかどうか定かでないのだが・・・が閃いた。


いや、この家系図、途切れてる・・・(えっ、あんた異端!? (゚∇゚;) と言わないでね)


イエス様に子どもはいなかったもの。だからこの家系はイエス・キリストで終了なのだ。

厳密にいえば、イエス様はマリアから産まれたものの、聖霊によってみごもったことを

考えれば、ヨセフの代で終わっているではないか。つまり、肉によるアブラハムの系図を

イエス様自ら終わらせられたともいえるのではないか。 なぜ・・・


「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。」 ローマ10:5


「アブラハムは神を信じ、それが彼の義とみなされました。 ~ 信仰による人々こそ

アブラハムの子孫だと知りなさい。」 ガラテヤ3:6-7


「そのようなわけで、世界の相続人となることは、信仰によるのです。それは、恵みによる

ためであり、こうして約束がすべての子孫に、すなわち、律法をもっている人々にだけでなく、

アブラハムの信仰にならう人々にも保証されるためなのです。わたしはあなたをあらゆる

国の人々の父としたと書いてあるとおりに、アブラハムは私たちすべての者の父なのです。」 ローマ4:16


しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。 Ⅰコリント15:20


肉によるアブラハムの子孫、キリストが死に、復活して、新しく生まれることによって、古い肉に

よる系図は終わり、キリストを信じ、新生する私たちが天の霊的な家系図において、アブラハムの

子孫と呼ばれるという壮大な計画が、はるか昔から立てられていたのだ。しかもアブラハムから

イエス様の父、ヨセフまでに40人の父が存在する。(よく教えられたことだが、聖書中に出てくる

40という数字は、試練、訓練、刷新などを暗示することが多いという=ノアの洪水、シナイ山に

籠ったモーセ、宣教を開始されたイエス様が過ごした荒野での日数 etc. )


この事を知っていたという人も大勢いらっしゃるのだろうが、やはり自分が直接発見した真理は

すばらしいね。神様に感謝だ。


(今日の適用)


・家族や、今日出会う人、話す人の気持ちや立場を理解し、やさしく接する


・超自然の神を信じて行動する。 → 病院へ行き、入院している母のために信仰をもって

                        癒されるよう祈る。


(ちなみに母はパーキンソン病を複雑にしたような病、多系統萎縮症で長期寝たきり。

1年半くらい前から胃へ管を通して流動食を流し入れる生活が続いている。徐々に

体が弱ってきて、今では体が動かず、しゃべる事もできないが、話していることは

なんとなく理解できているような気がする。)


※しかし長い記事になってしまった。あまり長すぎると、反動ですぐ終わりになってしまいそう。

明日からはもう少しかいつまんで、備忘録程度にしようかな。読んでくだった方も大変お疲れさま

でした。m(_ _)m

著者:取税人マタイ(当たり前か;)


テーマ:マタイはイエスを旧約聖書に預言されたメシアとして描いている。ユダヤ人に向けて書かれた。

     彼は、イエスの使命を神自らが言葉と行ないとをもって人々に神の国をもたらすことであった

     と捉えている。


特徴:4福音書の中で唯一教会について言及している。(16:18)また唯一イエスをイスラエルの12部族

    の王と呼んでいる。ユダヤ人リーダーにアピールしているかのように、旧約聖書の預言の成就を

    証明している。


    これらの目的は、イエスがこの時代のサタンの王国を滅ぼし、神の国をもたらす王なる御子で

    あることを証明することである。