こんばんは



今日、1月17日は



関西が阪神・淡路大震災に見舞われた日



この震災で6434人もの尊い命が失われた



当時、管理人はダンナさんと2人で高槻市に住んでいた



朝方、それまで生きてきた中で感じた事のない揺れで目が覚め



すぐにTVをつけたが、まだ報道はしてなかったので、電気とガスが付くかを確認して、いつもの時間まで布団に入り直した



高槻は震度5だった



震度5でも一瞬、住んでいた建物が潰れるかもしれない恐怖があったのだから、震度7の神戸の方たちの恐怖は計り知れない



明るくなり、TVをつけたら



そこには異世界が広がっていた



高速道路が横倒しになり、あちこちで火の手があがっている



ダンナさんは急いで会社関係の人に連絡を取っている


管理人も兵庫県に住んでいる友だちに連絡をしたが、一向につながらない



合間に、実家と義実家にも電話

TVを見た両親たちは電話をかけてくれたらしいが繋がらなかったそうで、こちらからの電話に安堵していた



何度も何度もかけ直し、やっと繋がった時には20歳も年上の友人が



怖かった、怖かった


と涙声だった



彼女のマンションは電気は使えるが、ガスと水道が止まった




ダンナさんも、管理人も会社が休みとなり、当面の買い出しをしようと外へ出たら、マンションのベランダが傾いていて、地面には亀裂



坂を下ったコンビニにはまだ商品があったので、レトルト品や水などを購入



翌日も会社が休みになったので兵庫の友人用にご飯を一升炊き、冷ましてラップに包み20個ほど作り(友人はお母さんと2人暮らしなので)とりあえず昨日買ったレトルトや、買い置きのカップ麺をリュックと紙袋につめ、友人宅へ向かう




友人の家は宝塚



正直、今となってはどこから歩いたのか記憶にない



梅田までは阪急電車が動いてた



が、その先は…



阪急電車が脱線している



宝塚大劇場が倒壊している



道路には亀裂



潰された家が何軒も



途中のコンビニで買い足そうと思って、何軒も寄ったけど、何も残っていなかった



どれくらい歩いたか、やっと友人の家に到着すると、友人は留守でお母さんに持ってきた食料を手渡し


「ケガがなくて良かったです」


と言うのが精一杯だった



この日から連日連夜、震災のニュース




あの日からもう27年



あの日から水や食料品の買い置きを切らすことはない



震災の日は確か火曜日だったか



日曜日、管理人とダンナさんは三宮に遊びに行っていた



街はすっかりキレイに復興した



だけど、なぜかまだ三宮に行けてない



今年も追悼のつどいのニュースが流れた



絶対に忘れてはならない