最近、「頑張らなくちゃ」「ちゃんとしなきゃ」という言葉が、いつの間にか日常のBGMみたいになっている気がします。

もちろん、前向きな言葉は嫌いじゃない。
でも、どれだけ気合いを入れても、どうしても立ち上がれない日ってありますよね。

心がうまく動かず、身体もついてこなくて、“今日は無理だな……”と静かに思ってしまう日。

そんなとき、私は自分にこう呟きます。

「何もできないなら、とりあえず毛布に潜り込めばいい。」

それだけで、世界が少しだけ優しくなる気がするのです。


毛布の中は、世界よりあたたかい

毛布にくるまる瞬間って、どうしてあんなにホッとするんでしょう。
柔らかさ、じんわりした温度、肩に落ちるほどよい重さ。

あの感覚は、理屈よりも早く心に触れてきます。

毛布に潜って目を閉じると、子どもの頃の「寝かしつけられた夜」を思い出します。
特別なことなんて何もないのに、ただ安心して眠れていた時間。

大人になると、安心できる瞬間って思ったより少ない。
だからこそ毛布のなかは、“外の世界からひととき避難できる場所” になっていくのだと思います。

心が迷子になりかけたとき、毛布はそっと“着陸地点”をつくってくれる。

そこに潜り込むと、「ああ、ここに戻ってくればいいんだ」と思えるんです。


がんばるより、包まれる日があってもいい

私たちはいつだって“がんばる”ことを求められます。

仕事、家事、学校、人間関係……
努力し続けるのが当たり前、みたいな空気がどこかに漂っています。

だけど、心と身体が疲れ切っているのに、更に気合いで押し切るのは逆効果だったりする。

動けない日は、動けるようになるためのエネルギーを集めている日なのかもしれません。

毛布に包まれるという行為は、前に進まないことへの罪悪感を、一度ふわっと手放してくれる時間。

「頑張れない自分」ではなく、「休むことを必要としている自分」に気づかせてくれる。

がんばるより、包まれる日があったっていい。
むしろ、そんな日があるから人はまた歩き出せるのだと思います。


毛布を整えることは、自分を大切にすること

毛布って、気づかないうちに生活の基準を映し出すものです。

丁寧に洗ったり、日光に当ててあげたり、触れた瞬間に「気持ちいい」と思える状態を保つ。

その小さな習慣って、結局は自分を丁寧に扱う行為に近いんですよね。

毛布をふかふかのまま整えておくと、“いつでもここに戻ってこれるよ”と自分に言っているような気がします。

毛布はただの布だけど、そのふわりとした温度が教えてくれるのは、

「あなたはもっと優しく扱われていい」ということ。

そして、その優しさはまず自分自身から始まるのかもしれません。


おわりに

今日は何もできなかった。
何も進まなかった。
心が重かった。

 

そんな一日でも、
毛布に潜り込んだとき、あたたかさを感じられたなら、それで十分。

 

大丈夫。
あなたはちゃんと生きている。

今日は疲れたなら、毛布に潜り込めばいい。
世界は、明日でも間に合う。