小説に意味のない文章は一文たりともない、とか
絵に描かれた色やモノにはすべて意味がある、とか
ほんとうなんですかね?
わたしは言葉を書くときも 絵を描くときも 歌を唄うときも
気ままで。
さっきも絵を描いていたんだけど、線も色も直感で 描くうちに
ああ、この白い点はなんだろう。星か。
薄紫だ。宵の空か。
なんて 後付けですわ。
わたしは言葉を書くことも 絵を描くことも 歌を唄うことも
真剣にそれらと向き合って 対象と向き合って 自分と向き合って
何かを掴もうとしてなすわけじゃないから
とても とても不真面目だから
何も考えてないんす。
だから、真剣勝負でそいつらを扱ってる人たちの世界は解らないんだろうとおもう
でもその一方で 言葉も絵も歌も
そういうもんじゃないだろうか、それでもいいんじゃないかな、
なんて思ったりする
そんで文頭に戻るわけです
詩人や画家や音楽家は
ほんとうにそんなに考えてんのかなぁ、と
もちろん推敲もしてるんでしょう
きっと何もかもに何かしらのものがあらわれてるんでしょう
苦しんだり何なりしながら 掴みだした、ものたちなんでしょう
不真面目なわたしが 口に出せないような。
でも「意味」?
それはぜんぶ後付けで
下手すると ぜんぶ観る側の考えすぎなんじゃぁないか、なんて
妄想をしてしまうわけです
そうであってほしいな、と思うのです。
白は純真、赤は情熱、緑が平和、とかさ、国旗じゃないんだから。
まあ
ひとくちに 言葉 絵 音楽 と言っても 十人十色。
それぞれのおもいや やり方や 形があります
なんでもいいんだけど笑
ただね
<意味>を求められるのには いい加減飽き飽きなんだよね
なぜ書くの? なぜそんなふうに描くの? なぜいつも歌ってるの?
理由、意味、
わたしの苦手な概念たちです。
もう、いいじゃないですか。
わたしは選んだし、それをやろうとしていて、やってるんです。
それで充分じゃないですか。
意味を考える必要はない。意義なんてなくていい。
なんてね。
甘え、だけどね。
6500万年前、現在のカリブ海に直径10kmの隕石が衝突しました。
それは米ソの核爆弾全てを合わせて1万倍にした程の威力。
150mの津波、3ヶ月にわたる40℃の高温、そして蒸発した水は分厚い雲となり、
氷点下の寒冷をもたらしました。「衝突の冬」といわれます。
大型爬虫類――恐竜が絶滅する大きな一因となった出来事です。
そうして地球の環境は大きく変化し、生き延びた、
それまで日陰者だった生き物たちが大きく進出します。
長い長い時間をかけて、生物の種は、まるでリレーをするかのように誕生し、栄え、絶滅してきました。
ある種が途切れれば、その場所を使って別の種が繁栄し、また途切れる。
現在生きている生物種は、かつて生まれた種に対し1%と言われます。
そのなかで、わたしたち人間の祖先も、バトンを受け取ったのです。
それは本当に、辛うじてのことでした。
けれど人間は、結果的にここまでの繁栄に成功しました。
そう、「成功」。
より多く、自分たちの遺伝子を残すという意味では、人間は大成功を収めているのです。
ここで、地球誕生から現在までを1年に見立てましょう。
地球誕生が、去年の1月1日0:00。現在が、今年の1月1日0:00です。
すると、人間が誕生したのはいつのことか、わかるでしょうか。
それはつい昨日、いえ、ついさっき。12月31日23:46のことなのです。
しかも、産業革命だの世界大戦だのという出来事は、ほんの1分間、59分の出来事。
そして、この<現在>の線で、多くの、とても多くの種が絶滅しているのです。
毎年5万~15万種、つまり毎日100~300種が絶滅しているという話もあります。
だから、人間の繁栄はこう言われることがあります。
まるであの、「隕石衝突」のようだ、と。
わたしは、箸をもち歩いています。水筒を持ち歩いています。レジ袋は断ります。
けれどそんなことは、この「大爆発」に見合うものにはなりえません。
もっと、生活の根本を、根底から変えなければならないのでしょう。
そしてそれはおそらく無茶なのだろうと思います。
では、そのうえでわたしは何をして、どう生きるのか。
わたしはそこで、いまだに迷うのです。
ただわかるのは、わたしたちが変えるのは世界ではなく、自分なのだろうということ。
あなたはどうですか。
絶望せずに、自暴自棄にならずに、楽しく、優しく、生きることができますか。
そしてそれは、どうしてですか。
それは米ソの核爆弾全てを合わせて1万倍にした程の威力。
150mの津波、3ヶ月にわたる40℃の高温、そして蒸発した水は分厚い雲となり、
氷点下の寒冷をもたらしました。「衝突の冬」といわれます。
大型爬虫類――恐竜が絶滅する大きな一因となった出来事です。
そうして地球の環境は大きく変化し、生き延びた、
それまで日陰者だった生き物たちが大きく進出します。
長い長い時間をかけて、生物の種は、まるでリレーをするかのように誕生し、栄え、絶滅してきました。
ある種が途切れれば、その場所を使って別の種が繁栄し、また途切れる。
現在生きている生物種は、かつて生まれた種に対し1%と言われます。
そのなかで、わたしたち人間の祖先も、バトンを受け取ったのです。
それは本当に、辛うじてのことでした。
けれど人間は、結果的にここまでの繁栄に成功しました。
そう、「成功」。
より多く、自分たちの遺伝子を残すという意味では、人間は大成功を収めているのです。
ここで、地球誕生から現在までを1年に見立てましょう。
地球誕生が、去年の1月1日0:00。現在が、今年の1月1日0:00です。
すると、人間が誕生したのはいつのことか、わかるでしょうか。
それはつい昨日、いえ、ついさっき。12月31日23:46のことなのです。
しかも、産業革命だの世界大戦だのという出来事は、ほんの1分間、59分の出来事。
そして、この<現在>の線で、多くの、とても多くの種が絶滅しているのです。
毎年5万~15万種、つまり毎日100~300種が絶滅しているという話もあります。
だから、人間の繁栄はこう言われることがあります。
まるであの、「隕石衝突」のようだ、と。
わたしは、箸をもち歩いています。水筒を持ち歩いています。レジ袋は断ります。
けれどそんなことは、この「大爆発」に見合うものにはなりえません。
もっと、生活の根本を、根底から変えなければならないのでしょう。
そしてそれはおそらく無茶なのだろうと思います。
では、そのうえでわたしは何をして、どう生きるのか。
わたしはそこで、いまだに迷うのです。
ただわかるのは、わたしたちが変えるのは世界ではなく、自分なのだろうということ。
あなたはどうですか。
絶望せずに、自暴自棄にならずに、楽しく、優しく、生きることができますか。
そしてそれは、どうしてですか。
