自分の居場所は自分で決める | Sashaのブログ

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素直な気持ちを書いてみよう!

こんばんは、こんにちは。

今週は何だか天気が不安定なようですが、今日も微妙だったものの傘はいりませんでした。

このまま何とか雨が降らずにいてくれれば・・・っと思いますが人生と同じで天気も予測不能ですね。


っというのも、実は3週間くらい前から私の人生の中で大きな変化が起きています。

抽象的な言い方をすると、1ヶ月ちょっと前から人生の分岐点になりそうなときに聞こえる、大きな波の音が少し前から聞こえていたのです。

自分で言うのもナンですが、私には何かを予兆する能力というか、何か名称はつけられない特殊な能力があるような気がしてならないのです。

唐突も無い話ですが小さい頃から何かそんな能力があると思っているせいか、自分の中で信じた事は絶対正しいと思ってきたし周りがどう言おうと意見を曲げないという頑固さを持っているのです。

今回の波は自分できっかけを作ったものですが(私が思うのに、いつでも波は自分で作っています)、不変なものなど無いというなかで私の人生に変化が余りなかった過去5年の中で一番大きな波がくるように思えています。


具体的には未だ話さないでおこうと思いますが、これから様々な変化が起こって新しい人生の幕開けになると思うと不安もあったりしますが、それと同時にドキドキワクワクする気持ちにもなっています。

変化が多い環境で生きてきたっというよりは、今まで自ら変化を好み自分で波をかきたてていたのですが、この数年は凄く安定している感じで波を立てようと思っても、上手くできずに停滞気味でした。

停滞が続くと人は変化を恐れるようになるのですね。それを今思い知っているところですが、私の経験上では立ち止まるより多少荒波でも変化を受け入れ乗り切るほうが人間として確実に成長できるという結果になっているので恐れずに歩んでいこうと思っています。


っといきなりテーマに入りかけていますが、今日は「自分の居場所は自分で決める」っというもの。


これって当たり前のように思って今も生きている私ですが、ドラマ「半沢直樹」をはじめサラリーマン社会で仕事をしてると自分の場所を自分で決められないという人が多いということに気づきました。


要は、、、会社に属している人の多くは会社によって異動を命ぜられたら、断る事はできなくないと思いますが自分の思い通りのところに行ける人は実際非常に少なくて、多くの人は自分の場所は自分で決められないのだなぁっということ。


「半沢直樹」では銀行マンとして入行しても、何かミスを犯したり気に入られなければ出向という形で関連会社へ送られて本社には暫く戻ってこれないということが描かれています。

それは他のサラリーマンも同じ事で、多くのサラリーマンは本社勤務よりも実際長いサラリーマン生活の中で海外を含めて出向先で勤める事の方が多いように思います。


私は商社に勤めているので出向は全世界に及んでいて、実際皆さん日本に帰任しても本社勤務にならない人も多かったりして、元の会社は商社かもしれないけれど微妙な立場で仕事をしてるというのが現実なのが良く分かります。

例えばカナダに来てる出向社員の人も、決して現地社員の人とは本当の意味で仲良くなれません。

なぜなら、出向の人は手当ても給与も本社基準だし、圧倒的に良い生活をさせてもらっていて権限も多く持っているので王様のような暮らしをしていて、現地社員のことをコバカにしているからです。

現地社員も又、余り英語力の無い人がきたりもするので、能力があったとしても言語が稚拙じゃ尊敬も得ることが出来ないので本当の意味で社長や部長として見られることはありません。


いつか機会があれば週刊誌などで是非この海外にきている出向社員の非常に悪い素行例を取り上げて欲しいくらいですが、正直にいって出向社員の人はやりたい放題で監査が入れば横領と見なされるであろう事を平気でしています。

現地の会社の業績が悪くて影響を受けるのは現地社員で彼らではないので、要は本当の意味で出向先の事を気にしている人などいないのです。どうせ腰かけ社長や部長で5年もしないうちに次の場所へ行く人なので、気にしないのは当然かもしれません。

今回の「半沢直樹」で近藤が大和田常務にゆすりをかけれて、人事か出向先を救う方法+同期の友情を選ぶ時がきた時に最終的に彼が自分の家族=人事をとったというのは典型的な例と言えると思います。


これは自分の居場所を自分で決められない人間だからこそ、他人に自分の人生を操られる立場だからこその考えだと思うのですが、自分の居場所を自分で決められている人を疎ましく思い、そんなに忙しくも無く毎日定時で帰っている現地社員を羨ましく思うからこその行動のような気がしています。


自分の暮らしを正当化するのに他人の暮らしをコバカにしたり、会社のお金を横領したり、権限を乱用する事しかできない人間は悲しいですね。

でも、多くの人間は権力を経済力が増えるにつれて人格が醜くなり、自分がそれに値する人間という風に虚栄心の塊になり、それに値しないであろう人間の気持ちなど全く気にしなくなってしまいます。


「自分の居場所は自分で決める」事ができないのであれば私は生きてる意味なんか無いとすら思うくらい運命は絶対自分の手で変えていくぞっと思って生きてきました。

サラリーマン家庭に生まれないと、こうも強気になれるのかっと驚きますが、やっぱり自分の好きな事をして自分の一番好きな場所で仕事に誇りを持って生きてる親をみて育ったから考え方がそんな風になってしまうのだと思います。


自分の居場所を決められない人は、専業主婦の女性と同じですね。

誰かの人生にくっついて生きていく、、、他人の人生を生きているということになると思います。

だから日本の就職活動セミナーでは、就職は結婚と似ていると言っていたのだと今になって気づきます。


そもそも北米には退職金も確定していないし、永久就職・終身雇用なんて概念は無いので、愛社心という気持ちや骨を埋める覚悟なんていう表現を会社に対して使いません。

一方で日本は大企業に就職したら転職しない人が今でも多くて、それは退職金をもらえるのが分かっているからだと思いますし、旦那を信じて健気についていく女性のように、自己主張もしないで会社と上司を信じてついていくという生き方を歩まざるをえないのだと思います。

そして又女性のように気配りして、尽くして、嫌でもお付き合いして、好きになってもらえるように、少しでも気に入ってもらって捨てられないようにしなければいけないのです。


私はそんな人生を送っているサラリーマンの人たちを正直可哀想だと思います。

自分の居場所も決められないなんて、他人に人生を預けるなんて、人生1度きりしかないのに自分の好きにできる時間やお金が少なすぎます。

それだけ尽くした挙句に景気が悪くなれば直ぐに切られて、退職金も出せないなんて言われたりしたら何の為に耐えてきたのかっと思うでしょうね。

誰かの為に働いて、好きでもないお酒やタバコをいつしか無くてはならないもののように思い始めて、ようやく時間が自由になる頃には病気になってしまうとか・・・悲劇の人生です。


私はお金を選ぶなら東京にいよう、時間を選ぶならカナダにいようっと思っていました。

そして暫く迷っていたのは事実で、こちらでは日本語が出来た所で、そこまでスキルと見なしてくれないので正直余りお金がもらえないので暫くは東京に出稼ぎにいこうかと真剣に考えていました。

でも、最終的に出した答えは時間の方がお金よりも大事だということで、カナダにイ居留まることにしたし、カナダ市民権まで取得することにしました。


カナダ市民権を取ろうと思った理由は何個もありますが、その中の1つは「自分の居場所は自分で決める」という信念があったから。移民で居る限り5年のうち3年はカナダにいなければいけなくて、5年ごとに出入国履歴を細かく書いて提出して移民権を更新しなければいけません。

本当の意味で自分の居場所を決めるには、その拘束から逃れなければと思っていました。

例えば、いつか私が日本に長期で帰らなければいけなくなったとき、例えば私が他の国に長期で暮らさなければなった時、そんな時に私がカナダに住む権利を奪われるということだけは我慢できませんでした。


正直、日本の国籍はなくなっても良いと思って国籍を取得したのも事実です。

日本には何も未練がないというか、、、、もちろん愛する家族・親族・友達はいるのですが、日本という国にもう二度と戻れないとしても悔いはないと思うし、そのつもりで移住したと言っても過言じゃありません。

でも、カナダには二度と住めないと思ったら絶対に嫌だと思うのです。

それくらい私はカナダという国に魅了されて大好きなので、移民コンサルタントの資格まで取得して移民をしたい人を助けたいと思ってるし、日本というよりはカナダ親善大使の気持ちで生きています。


っという訳でカナダLOVEな感じを熱く語ってしまいましたが、これからも「自分の居場所は自分で決める」というのをモットーに私らしく変化の波が押し寄せてきている今だからこそ地に足をつけて、しっかり一歩一歩前進していきたいと思っています合格