いつかこの日が来ることはわかっていたけれど…。
それでも正式な発表を聞くと涙が止まらんな・°・(ノД`)・°・
彼の演技については語りたいことがたっくさんあるのでヽ(゚◇゚ )ノ
それはまた今度別に書くことにして
今日は今まで漠然と思ったこと、感じてきたことを綴ろうかと思います。

フィギュアスケートを見る以外にも趣味はあるけれど
ここまで夢中になれたものは他になかった。
音楽との一体感、選手がリンクを駆け抜けていく爽快感
そして短い時間に凝縮されるアスリートのドラマ。
そういったものに私は引きつけられたのだと思う。
私がネットをやるようになったのはソルトレイク五輪のちょっと前あたりで
それまで知らなかったような海外の情報を目にするようになって
ますますフィギュアにはまってしまったわけですが
ちょうどそれと同時期に現れたのがベルアゴであり、ドムシャバであり高橋大輔であった。
そのベルアゴとドムシャバはバンクーバーで引退。
つまり、ここまでの私のフィギュア観戦の道のりは高橋選手と共にあったともいえる。

何度かこのブログにも書いたことがあったと思うけど
私がフィギュアを見始めたのは長野五輪のちょっと前あたりで
特にはまったのはアイスダンスでした。
男子シングルに興味を持つようになったのはクーリックがきっかけで
本格的にはまったのはヤグプルのおかげだと思う。
どうしても女子のイメージが強いフィギュアスケートだったけど
男子シングルってこんなに熱い世界だったのか!ってびっくりしたものでした。
ヤグかプルかでいえばヤグ派だった私。
ソルトレイク五輪後、彼が突然現役引退をすることになって茫然自失だったな。

高橋選手という人はちょうどヤグディンの引退と重なるころにシニアデビューした選手でした。
私が初めて彼の演技を見たのはソルトレイク五輪のあった2002年の世界ジュニアですね。
そこで彼は日本男子で初めて優勝したわけですが
当時はヤグプル全盛期で4回転をバンバン跳んでる時代だったので
まだ4回転未装備だった彼が将来世界のトップに立つとは正直思ってなかった(^^ゞ
ただ、その優勝という成績よりもSPの演技が印象的でした。
ウェストサイドストーリーを使っていたのですが、あのころからリズム感が抜群で
今までの日本選手では見たことのないタイプだなと思った覚えがあります。
それ以来、私と年齢が近いこともあり
同級生をみるような感じで「がんばれよ!」って思いながら見てた。
友達が頑張ってるのをみると自分も頑張らなきゃいけないなーと思ったりするじゃないですか。
長いことそんな感覚でみてましたね。


本田武史さんという偉大すぎるエースがいて
そのあとを引き継ぐのは大変だっただろうと思う。
シニアにあがってからなかなか結果が出なくて、大丈夫かな?てとこもあったし
チャラ系に進んでしまったときは、おいおいおいって思ったりもしたσ(^_^;)
しかし、「おや?」と思ったのはモロゾフについてからかな。
2005-2006シーズンですね。演技を見ていて何かが大きく変わったと思った。
今まで上手く力を発揮できていなかったけど
実はこの人は凄い才能の持ち主なのでは?と思うようになりましたね。
モロゾフについては賛否両論あるだろうし、私もあの人を全面的に褒めることはできないけど(;´Д`)ノ
自己評価が限りなく低い高橋選手のようなタイプには
モロゾフのような押し出しの強い人との出会いが必要だったんだな、と感じますね。
翌2006-2007シーズンのプログラムをみて、高橋選手の才能を確信できた。
トリノ五輪からバトルが現役だった2007-2008までは本当に夢のような時間だった。
ヤグプル時代というのもすごく面白かったけど
このトリノ世代の戦いっていうのはヤグプルとは違った
個性と個性のぶつかり合いで、しかも誰が勝っても不思議はないという
まさに戦国時代のような、言葉では表現しつくせないわくわく感がありましたよね。
ランビエール、バトル、ジュベール、ジョニー、ライサチェック、そして高橋。
メンバーの中に日本の高橋選手がいるということが凄いことだった。

その後モロゾフとの別離、選手生命を脅かす右膝の大怪我という試練にぶつかり
高橋選手はさらに大きく変わったと思う。
彼が怪我した時もヤグ引退の時のように茫然自失だったな。
高橋選手はそれまで大きな怪我とかしたことなかったし
ちょうど五輪に向けてこれから!ってときだったから
ほんとにショックで私もあの時は泣いた。
当時はとてもこんなこと書けなかったけど
正直、私はあの怪我の時、高橋選手の復帰は難しいだろうと思っていました。。
それだけ大変な怪我だったし、仮に復帰できたとしても
あの個性強いメンバーと戦えるほどの位置まで戻ってくるのは難しいだろう。
そう覚悟していました。

それなのに。
彼の復活劇はちょっと信じられないレベルでした。
あのB級大会はフィンランディアでしたか。あれをみて
「彼は本気で五輪でメダルを獲るつもりなんだ」と鳥肌がたった。
それまで彼のメンタルは弱いと思ってた自分が恥ずかしかったです。
私の方がよっぽど弱いなとあの時気が付いた。

2011年のモスクワワールドの時の現役続行宣言の時も
これから先は厳しいだろう、というようなことをこのブログにも書いたと思う。
怪我があって、年齢もベテランになって
スピンのレベル認定が厳しくなり彼の得点源であるステップが減ったので
当時の私には厳しくなるだろうと思えた。
…でも、あそこから彼はさらに進化した。

かりやさんの言葉がそのあたりをすごく上手く表現してくれてるけど
(アナウンサーってこういう時言いたいことがうまく言えるんですね、さすがプロ)
「進化しないのではないかという限界を
更に越えて、更に越えて、更に越えて見せ続けた」
こんな感じだったかな?そういう趣旨のことを言ってたと思いますが
演技にしろ技術にしろメンタルにしろ、まさにその通りだったと思う。
限界への挑戦、というのは私個人には全く欠けている部分で
高橋選手のそういうところを私は本当に尊敬してます。

本音を言えばね、彼は怪我した後は4回転入れなくても良かったとも思うよ。
クワドレスになったとしても
誰もそれに関して逃げてるとかそんな風には思わなかったと思う。
だってあんな大怪我抱えて4回転なんて無理だもの。
でも、彼は最後までそこにこだわり続けたね。
それも彼の挑戦の1つだった思う。

ちなみに
もし根性なしの私が高橋選手の立場だったら…
シニアにあがって成績が出ない時点でやめる
怪我した時にやめる
五輪でメダル獲ってワールドチャンピオンになってやめる(キリがいいので)
モスクワワールドでやめる
最低でも今までで4回は引退してるな!!!

最初は同級生的なちょっとしっかりしなさいよ~な視点だったけど
気が付けば心から尊敬できるアスリートになっていた。
そしてその成長の過程をみることができたのはとても幸せなことだった。
彼の演技の数々をみて感動したのはもちろんだけど
彼のアスリートとしての姿勢、生き方にとても感銘を受け刺激をもらった。
このオフシーズンに彼の本を初めて買って読んでみたけど
率直な言葉で語られていて、とても勉強になる部分が多かった。
かっこつけて書いてある言葉じゃなくて
実体験から生まれてくる言葉は説得力がありますな。

会見も後ろ向きなものではなく
前を向くための、これから進んでいくための
とても明るい爽やかなものに思えました。
新しいことにも臆することなくチャレンジしていく彼のことですから
きっと何か新たな目標が見つかることと思います。
今まで色々なものを教えてくれてありがとう。
そして何より、私にスケートの素晴らしさを教えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとう、そして今までお疲れ様でした。